教科書・ノートが見つかった状態。
鞄を溝から掘り出す捜査員。写真は"無実の獄25年・狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社"より引用。
【公判調書2389丁〜】
「第四十七回公判調書(供述)」
証人=「清水利一」
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石田弁護人=「ところでその鞄発見の際、宮岡貞男さんという農家の方がいたんじゃないですか、発見現場にね」
証人=「その方が多分小麦の畑にいたんだと思います」
石田弁護人=「その宮岡さんが、これは浦和の地方裁判所当時言ってるんですが、僕が着いた時には、ほとんど捜索という段階ではなくてもう発見されていた状況の、その直後ぐらいの状況であったという趣旨のことを全体として言われているんですがね」
証人=「宮岡さんは、あの方を頼めと言って私が直に行って頼んでいるわけですから、私と宮岡さんは同行してるわけです」
石田弁護人=「案外、宮岡さんが呼ばれてそこへ行った際には関さんだか清水さんはすでに発見していたんじゃないかと考えられるわけですが、その辺の記憶はどうでしょうか」
証人=「宮岡さんがいた畑と、そのあった場所はそうえらく離れておらなかったです。で、私は宮岡さんを頼んで、で、関さんか誰かが、何かあったということを言ってるわけですから、それは宮岡さんは見てると思います」
石田弁護人=「宮岡さんは当時の記憶に基づいて一審でいろいろ述べてますからいいですが、それからパン屋の息子というのも誰か呼んできたんじゃないですか、斉藤実」
証人=「ええ」
石田弁護人=「それもあなたですか」
証人=「いや、違うんです。先ほど申し上げた通り、私が行った時には呼んでちょうど私と両方が会う様な状態だったですね」
石田弁護人=「それは他の警察官が呼びに行ったんですか」
証人=「それは私じゃありません」
石田弁護人=「清水さんでも関さんでもない」
証人=「さあ、その当時は知っておったんでしょうが忘れましたね」
石田弁護人=「それから指田春吉という、やはり農家の方のようですが、来たかどうか覚えていますか」
証人=「記憶ないですね」
石田弁護人=「それから関口実という人が来たかどうか覚えていますか。これも民間人のようですが」
証人=「立会人にしたのは確か二人のように覚えているんですが、それ以外の人がいたかどうかちょっと記憶ありません」
石田弁護人=「実際のことを聞いてるんで、見分調書なり捜査報告書にどう書かれてあったかとかは関係ないんです。実際の状況ですが」
証人=「何せ私も古いことですから、警察官の名前すらはっきりと。とにかく二人が立会ったことだけは私は確かに覚えています」
石田弁護人=「もし二人以上だとすれば、何で来たのか、あなたには分からないということですね」
証人=「あるいは、あの辺にまだ小麦のある時期ですから、そういう方が近所にいたかも知れませんし」
石田弁護人=「どうもそういう民間人の人たち何人かが来てるようですが、そういう人たちが来た時には、発見されておるようなんですが」
証人=「私は、発見してすぐ写真を撮って、鞄の中の物はその人たちには確か見せなかったと思います。立会人にも、何があったかということは非常にうまくないということで断って、ただ、下にあった物だけは見られたんじゃないかと思います。鞄を上げた時に鞄の下にあった物です」
(続く)
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清水利一証人は「宮岡さんとは同行し」「パン屋の息子、斉藤実とは(現場で)両方が会う様な状態」と述べているが、必要以上に、やけにこだわる返答となってはいないだろうか。