アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 760

証人=清水利一は狭山事件の捜査において、証拠物の捜索には一度だけ携わったと証言するが、その証言内容は異様なほど詳細である・・・・・・。

【公判調書2385丁〜】

                  「第四十七回公判調書(供述)」

証人=清水利一

                                            *

(証人の証言 "〜ただ一点だけ、私はあの事件で物の捜索を上司から下命されたのを覚えています" に対し)

石田弁護人=「何ですか」

証人=「鞄です。それは日ははっきり覚えておりませんけれども、六月頃川越へ、被告が再逮捕されて送られて、事件送致をされてそれからいく日か経ってから、私が物の捜査をしたのはそれだけですが」

石田弁護人=「上司から、その場合は特に命令を受けたわけですか」

証人=「ええ。私は本部で記録の整理をしておりました。そしたら捜査本部ですから夕方それぞれ捜査員が引き揚げてくる時期だったんですが、将田警視から、あなたに実況見分してもらいたいことがあると。捜査員を駐在所のほうへやるから、あちらへすぐ行ってくれんかと。それから、新聞屋に目立たないように自転車で行ってほしいということで、名前は忘れましたが私のすぐ横にいた鑑識の巡査を連れて巻尺を持って写真機を持ちして、二人で自転車で行ったことを覚えています。で、現地で詳細を話すと、ただ実況見分をしてほしい状況は、現地で取調班員が駐在所にいるからそこへ行ってくれと電話を受けて、あのとき竹内署長が多分いたと思いますが、あの竹内署長にその状況を話して、行ってきますと」

石田弁護人=「竹内狭山署長ですか」

証人=「そうです。竹内署長に一応お話しして、署長行ってきますと、いうことで、車で行ったらいいでしょう、いや車使わんで、と言われたから自転車で行きます、新聞屋につけられますから、と言ったのを覚えています」

石田弁護人=「やがて発見されたという現場へ行かれたんですね」

証人=「いや、私は初め、あそこは何という駐在所か分かりませんが駐在所に行ってくれと言われて、狭山管内で加佐志だったか、あそこに駐在所があるんです、山学校という、そのこちらの方にあるんです」

石田弁護人=「こちらと言うと」

証人=「その駐在所だったと思います。そこに取調班のほうの関部長だったか清水部長だったか一人に、あとは刑事だったと思いますが来ておりまして、私が行ったら、清水警部、将田さんから連絡ございましたかと。あったから来たんだと。実はここで実況見分をするんです、何だ、と聞いたら、多分うちでなくて道路の辺りのような気がしたんですが、紙片を見せられました。これは何だと言ったら、石川くんが書いたメモだと。そこに鞄があるんだと。鞄をそこへ埋めたという話だから、その地点を捜査してくれということで、日暮れだなと言ったがそれでもやってもらいたいと、一人だけ立会人を見つけましたと。立会人一人おりましたです。私が行くより向こうが先に」

石田弁護人=「その立会人というのは民間人ですか」

証人=「民間人です。名前は忘れました。で、山学校という学校があって、その近所に先生だったか校長さんか分かりませんが、その家の南の方になる場所だと思うんですが、溝があるわけです。その溝の上だと言うので、私が連れて行った鑑識の人と私と、取調班のほうから来た関部長だったか清水部長かちょっとそこの点が覚えがないんですけれども、その他に刑事が一人か二人いたと思うんです、川越へ行ってる取調班のですね。それでじゃあ見てこよう、立会人を一人頼んだと言うから、一人じゃ心許ないと、ちょうど農家の人で名前は忘れましたけれども、うどん粉にする小麦を刈り上げて運ぶ人だったか何か、そのような人が畑におったわけです。あの人を頼んだらいいだろうと言うことでその人も立会人になってもらって、それでその溝、あまり広い溝じゃなかった、草が生い茂ってました、六月ですから。その溝を片っ端からずっと捜査していったわけです。それで、名前をはっきり覚えてないんですが関くんか清水くんかがちょっとはっきりしないんですが、関くんのような気もするし清水部長だった気もするんですが、あるいは二人がいたかどうか。古い記憶ですから間違っているかどうか分かりませんが、いずれにしても関くんか清水部長だったと思うんですが、棒を持ちまして突いて行ったんです。そしたら何か触ったと言うんで、そこへ行ったのは立会人のが僕より先に行ったと思うんですが、何かあるということで、土をはかせということで土をはかしたところ、土はあまり厚くはなかったように思うんですが土をはかせたら鞄が、高校生が持つような鞄があったんです。それで、そのままで写真を撮らして、土をはかないうちに一応棒を突いたところを写真撮って、はかして写真を撮らして、それでその位置を測らして、みんなメートルで測らしたと思いますから、基点に測らして、鞄を取り除けと言って取り除かしたのを覚えております」

石田弁護人=「そのことについてお伺いしますが、あなたが、発見された現場付近に到着されてから、鞄が関さんか清水さんかによって発見されるまでの間というのはほとんど時間がなかったのか、かなり長い時間を要したのか、それはどうなんですか」

証人=「実況見分調書にあると思うんですが、私はすぐ見つかったんじゃないように覚えております。すぐ見つかったんじゃなくて、私もあの時一緒に歩いたんですが、ずっと南の方へ歩いて行って、それで二、三十分、あるいは四十分ぐらい、とにかくもう夕方暗くなり際だったんです。それで見つけたんですから、三、四十分、時間的にはそういう記憶ですから、はっきり申し上げられませんが、時間がありました」

石田弁護人=「若干の時間があったような気がするということですね」

証人=「はい」

(続く)

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熊谷二重逮捕事件という前歴を背負うこの証人の証言は信用できるのであろうか。

弁護人の質問に対し饒舌に、そしてやや物語調に語られる清水利一証人の証言、それはまるでこの日のために考え抜かれた、あらゆる奸計を働かせた答弁として仕上げられてはいないか。

問われたことに対して、かなり情報過多な証言を返す時、そこには反面、不都合なことを隠そうとする心理が働くと、昔読んだ犯罪心理学の本には記載されていたが。