アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 689

(狭山事件裁判資料より)

【公判調書2162丁〜】

                 「第四十三回公判調書(供述)」⑯

証人=中  勲(五十七歳)

                                          *

裁判長=「足跡について群馬県警の足跡の専門家に鑑定してもらったという風に述べたが、それは何という人ですか」

証人=「名は忘れました」

裁判長=「現在も群馬県警にいる人ですか」

証人=「まだいるのではないかと思います。通称足跡の神様といわれている人です。埼玉でも足跡の鑑定は出来ますけれども、更に念を押そうということで頼んだのです」

裁判長=「どこの足跡の鑑定を頼んだのですか」

証人=「佐野屋付近に印象された当夜の足跡です」

裁判長=「それについての書類はあるのですか」

証人=「あるはずです。確か鑑定書が出来ていると思います」

裁判長=「この事件では犯人捜査につき、こういう範囲の人を当ってみたが結局こういうところに落ち着いたのだ、という捜査の経過が分かる書類等がありますか。あるいはそういうことについて証言できる人がいますか」

証人=「調べをすれば上申書なり調書が必ず取ってあります。聞いて聞きっぱなしということは原則としてないわけですから」

裁判長=「あなたの現在の記憶では、最初はこれだけ手を広げてやったのだが結局ここに落ち着いたのだ、ということは証言できませんか」

証人=「具体的に人間の範囲などはわかりません」

裁判長=「五月一日及び五月二日の夜間張込みをしましたね」

証人=「はい」

裁判長=「五月一日の張込みは土地の警察だけで、五月二日の張込みは県警からも応援が出てした(原文ママ)のですね」

証人=「はい」

裁判長=「その夜間の張込みをするということはどの程度の範囲の人が知っていたはずですか」

証人=「狭山署を除いては、捜査関係では行った者だけです。というのは、捜査一課員を応援にやるつもりではなかったのですが、たまたま東京に出張していた本部長に私が事件の発生を電話で報告したところが、本部長が夕方六時頃だったでしょうか東京から帰って来てこちらから応援を出せということになり、当時川口、浦和と思いますが二つほど出来ていた特捜本部に行っていた捜査員に急遽電話をし、直ちに帰って来いと言って帰らせ、夕飯を食べさせ自動車を仕立てて送り出したわけなのです。ですから、その程度の者にしか当夜の張込みのことはわからなかったはずです」

裁判長=「被害者の家族には知らせましたね」

証人=「はい、姉さんには出てもらっておりますから」

裁判長=「そのほか、土地をよく知っている人とか、こういう人には手助けをしてもらおうというような考えから知らせた人はいませんか」

証人=「私どもには地元の関係は分かりませんが、ただ言い得ることは、名前は忘れましたが、ピーティーエーの会長をしていて亡くなった、前に憲兵曹長か軍曹をしていた人で善枝ちゃんの友達のお父さんである人に頼んで登美恵さんと一緒に佐野屋の側に行ってもらいました。このことは私は後で知りました」

裁判長=「五月一日の夜の方はあなたは関係しなかったのですね」

証人=「はい。五月二日の夜の方についてはそういう状態でした」

裁判長=「五月二日の張込みについてあなたが捜査員に下命したのは何時頃でしたか」

証人=「夕方五時か五時半、六時近かったと思います。それぞれ事情を告げず直ちに課の方に引き揚げて来いという指示をして引き揚げさせ、それから食事をさせながら事件の概要を伝えて出発させました」

裁判長=「あなたが前回の証言のあと調べたところでは、少時という人の家はどのくらい離れたところでしたか」

証人=「距離は分かりませんが、相当離れています。同じ町内ではありません。刑事部総務課の担当も、書面だけで実体は掴んでいませんでした」

裁判長=「先ほどショウジという人に該当する人は何名かいたということを述べたが、それは姓の方ですか、名の方ですか」

証人=「名の方です」

裁判長=「普通、何々様という場合は姓の方をいうのではないかとも思われるが」

証人=「ショウジという姓はちょっと見当たりません」

裁判長=「庄司などという姓もあり、ショウジ様といえば姓の方ではないかと見るのが常識的ではないかとも思われるが、あなた方は名前の方でショウジというのを捜したのですか」

証人=「一応両方やらせましたが、結論として名の方の音で該当するのがあったのです」

裁判長=「奥富玄二が自殺したことに関して同人の筆跡を集めましたか」

証人=「はい」

裁判長=「その捜査の結果は記録にありますか」

証人=「あるはずです」

(続く)