アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 667

(狭山事件裁判資料より)

【公判調書2074丁〜】

                   「第四十一回公判調書(供述)」

証人=山下了一(五十二歳・無職。事件当時、埼玉県警本部捜査一課)⑭

                                          * 

石田弁護人=「五月二日の晩、張込みに行かれるについては、私服で行かれましたか」

証人=「私服です」

石田弁護人=「普通の背広で」

証人=「背広です」

石田弁護人=「履物は、何を履いて行ったんですか」

証人=「短靴だと思います」

石田弁護人=「日常普通の短靴ですか」

証人=「そうです」

石田弁護人=「短靴だと行動に不便だということで短靴以外のものを履いて行ったんじゃないですか、犯人がもし現れて、それを捕まえるような時は短靴は必ずしも便利とは言えない」

証人=「他所の、捜査本部へ私は行ってまして、当時浦和にも事件がありまして、これはあの時、事件よりいくらか、半年か一年前だと思いますが、その現場から行ったんで、そのままの服装で行ったわけですが」

石田弁護人=「あなたは、普通の短靴を履いていた」

証人=「短靴です」

石田弁護人=「すると、あなたと一緒におられた狭山署の本田さんですかね、本田さんはやっぱり私服だったですか」

証人=「私服です」

石田弁護人=「履物は何でしたか」

証人=「やはり短靴かズックか何かじゃないかと思いますが、その点ははっきりした記憶はありませんが、自分の関係はそういうわけで、とにかく浦和の捜査本部に行ってそれから向こうに行ったんで、短靴に背広は間違いありません」

石田弁護人=「あなた以外の人の服装なり履物なりについては定かでないですか」

証人=「しっかりした記憶ありません」

石田弁護人=「本田さんについて」

証人=「記憶ありません。本人はどうか知りませんが、私としては記憶ありません」

                                          *

山上弁護人=「今の張込みは、正確には五月二日の夜から五月三日の朝ということですか」

証人=「朝って言ってもそう明るく・・・・・・その後の張込みは朝までやりましたが、当初、逃走前の張込みは夜中です」

山上弁護人=「脅迫状に基づいて、念のためということで、五月一日の夜にも張込んだ事実があるんじゃないですか」

証人=「五月一日というと前の晩ですか」

山上弁護人=「前の晩、十人ぐらい警官が行ったことはありませんか」

証人=「それは、私、今申し上げました通り、浦和の特捜本部の方へずっと行ってましたんで、あの晩に事件を知って、それで狭山へ派遣されたので、前の日のことはちょっと記憶もありませんし、わかりません」

山上弁護人=「もう一点ですが、あなたは恐喝未遂のことを第一次逮捕以来お調べになったわけですね」

証人=「はい」

山上弁護人=「それで起訴されたのが六月十三日と聞いておりますが、恐喝未遂の罪名が落ちてるということは知っておるか、また、聞きましたか」

証人=「起訴状ですか」

山上弁護人=「はい」

証人=「それは、記憶がないですね」

山上弁護人=「聞いたことない」

証人=「記憶ないですね」

山上弁護人=「警察の外部で、あれだけ捜査したのに、ついに恐喝未遂も処分保留でだめになったかというような噂は当然出たんじゃないかと思いますが、その点どうですか」

証人=「あるいは出たかも知れませんが現在においては記憶ありません」

山上弁護人=「あるいは出たかも知れないというのは、そういうことも当然、これは客観的事実ですから分かるんですが、あなたの記憶はどうですか」

証人=「記憶としては、もう忘れて、どうだったかということはちょっと思い出しません」

山上弁護人=「新しく九日に起訴されていますが、恐喝未遂でもだめだったのが、殺人で逮捕状が出たということで、多少、警察の内部で議論が出ませんでしたか」

証人=「そういう議論もあんまり、やはりあったという記憶もないですね」

山上弁護人=「やはりあったことはないが、ある程度の疑問は、あなたが持たれましたか」

証人=「証拠があれば出るものだと、私も捜査の関係やってますから、そういう風に感じました」

山上弁護人=「先ほど、石川君が未解放部落の出身であるということは、私は全然知らないということでしたね」

証人=「はい」

山上弁護人=「これは、中さんの証言に出ておりますが、捜査の関係者を集めて、そういうことのないようにという話を自分はしたという証言が出ておりますが、あなたはやはり記憶が全然ありませんか」

証人=「ないですね。それで私は、聞込みの関係で外へ指揮して歩いたことが多いですから、そういう関係は聞かなかったですね」

                                          *

昭和四十五年十二月十七日   

東京高等裁判所第四刑事部         裁判所速記官 沢田怜子

                                                    裁判所速記官 佐藤治子