アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 666

(狭山事件裁判資料より)

【公判調書2072丁〜】

                 「第四十一回公判調書(供述)」

証人=山下了一(五十二歳・無職。事件当時、埼玉県警本部捜査一課)⑬

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中田弁護人=「あなたが代わっただけじゃなくして清水さんも交替したんでしょう」

証人=「清水さんは、私は休んでたですからどうだったか。その点ははっきりしたあれは、ありません」

中田弁護人=「清水さんは、熊谷で起った二重逮捕事件の責任者でしょう、あなた、知ってるでしょう」

証人=「そんなことが、あったようにも思います」

中田弁護人=「あったって、捜査一課の人でしょう」

証人=「私はその当時、捜査一課にはおりません、その話は、古い話、昔の話じゃないかと思います」

中田弁護人=「そんな昔じゃないでしょう」

証人=「私はその当時、そんな話、知らなかったんだから、一課にはいなかったですね」

中田弁護人=「これは、長谷部さん自身がこの法廷で自分は、その責任者だったから、清水さん、いわば交替させたんだと、証言しておられるから念のため聞いたんですが」

証人=「私は、捜査一課にはその事件の時はいませんでした」

中田弁護人=「今は清水さんが交替させられたということは知ってるんでしょう、この事件について」

証人=「そりゃ、どういう関係で交替したんだか知りませんが、とにかく取調べをやらなかったということは知ってます。どういう理由だかそれはわかりません」

中田弁護人=「あなたが、四、五日休んで取調べに復した時には石川君を調べていたのは誰ですか」

証人=「その関係も私、いなかったですから、わからないんですが、とにかくその当時残ったのは遠藤さん、長谷部さん、そのほかにも誰かいたんじゃないかと思いますが、ちょっと思い出しません」

中田弁護人=「念のために聞いてみますが、狭山署の時でもいいし、川越分室へ行ってからでもいいんですが、助勤で看守のような仕事をしてる大宮署の人がいましたか」

証人=「いました」

中田弁護人=「何ていう人ですか」

証人=「看守といいますと」

中田弁護人=「看守みたいな、あるいは取調べの時に横に付いてる警察官といったような」

証人=「斉藤さんというんじゃないかと思います」

中田弁護人=「斉藤留五郎さん」

証人=「はい」

中田弁護人=「斉藤留五郎さんのほかに、眼鏡かけたやはり大宮の署員の人はいませんでしたか」

証人=「いくつくらいの人ですか」

中田弁護人=「五十二、三の眼鏡かけた人」

証人=「それはちょっと記憶ありませんね。斉藤さんはですね、留置場へ出たり入ったりする時に、何か一緒に付いて行ったような記憶ありますが、五十くらいで眼鏡かけた人というのは、ちょっと記憶ないですね」

中田弁護人=「あなたは、結局その後は石川君の取調べに当らなかったわけですけれど、石川君が自白したということは聞いたでしょう」

証人=「身体が良くなりまして、とにかく私、前に調べたこともあるし、関連性があるんで、出て行きまして、その時かそれ以後かはっきりした記憶ありませんが、自供したという関係を聞きました」

中田弁護人=「休んでる間に聞いたことはないですね、出てきてから・・・・・・」

証人=「もうとにかく、身体が悪くてあれしたんですから、一応早く治さなくちゃと思ってあれしてましたから、連絡してくれる人もいないし、知らなかったです」

(続く)

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○証言を見ると、自分より階級が上であるが為、清水利一警視の旧悪を「古い話、昔の話」と述べざるを得なかったのか、あるいは熊谷二重逮捕事件という警察の不祥事自体に触れて欲しくなかったのか、証人の真意は今ひとつ掴めない上、清水利一に絡む質問に対し逃げの姿勢が顕著に表れ出ている・・・。

熊谷事件は昭和三十年六月、埼玉県大里郡江南村付近において発生、当時十八才の女性が強姦のうえ殺害され雑木林内で発見される。四ヶ月後、熊谷警察署は比企郡滑川村に住む男性(当時二十六才)を別件逮捕、数日後には本件「神谷せつ子殺し」を自供させ逮捕する。

昭和三十一年五月中旬、数回目の浦和地裁熊谷支部での公判閉廷後、弁護人のもとへ情報提供者が現れる。この者は「真犯人は江南村に住む三十二才の男であり、事件当日被害者が乗っていた自転車は分解され、男の自宅及び庭の三ヶ所に埋められている」と述べ、その詳細な図面も加えた。検討に検討を重ねた弁護人は行動を開始する。

同年十月、弁護人による奔走の末、捜索班が組まれ、三十二才の男の自宅へと向かった。陣容はこの弁護人を指揮官とし、土木工事関係者、これに検察、警察側が同行する形である。

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「・・・自宅に持ち帰った被害者の自転車は、男の実兄が分解、解体し三ヶ所に分散して埋めた。翌年、甘藷の苗床をつくる時に、この実兄が独断で一ヶ所に集め、苗床の下二メートルの地点に埋め直した。自転車のサドルだけは、自宅の囲炉裏の灰の下に深く埋めている。自転車を埋めた地点には、現在は菜っ葉が芽を出している。男の両親も事実を知っていると思われ、近所の者たちも感づいているようだ・・・」(情報提供者)

捜索の結果、男の自宅庭から被害者の自転車が発掘され、囲炉裏の中からはサドルが出てきた。これらは提供された情報通りであり、午後三時過ぎ、弁護人率いる捜索班は全ての捜索を終えた。

犯人の男は昭和三十二年十一月七日無期懲役確定。

誤認逮捕された男性には十二月十三日付で公訴棄却決定がなされた。

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奇跡とも思える情報提供者の出現には驚かされるが、この者が現れなければ、二十六才の男性はそのまま真犯人とされ、量刑もやはり無期懲役が下されたであろう。なお、警察官による男性に対する取調べ方法は極めて暴力的、いや暴力そのものを利用したと表現するべきか、熊谷警察署内の演武場で柔道の荒技ばかり用い、男性を投げ飛ばしながら同時に取調べるという、暴力団もたじろぐ極悪非道ぶりであり、否認する間もなく陥落させられたことは、むしろ当たり前と考えられる。そしてこの暴力警官らの責任者が清水利一警部だったというわけである。

取調べに関与した清水利一を含む四人の警察官に対し関係機関は調査を開始、埼玉県弁護士会、浦和地方法務局、告発を受けた浦和地方検察庁などが動く中、埼玉県警本部は人事異動を発令、これらに終止符を打った。

拷問さながらの取調べを受けた男性は、暴力に耐えられず虚偽の自白に至るのだが、その証言は虚偽ゆえ証拠能力としての弱さが目立つ。暴力と奸計は得意である警察、検察は、死体発見現場付近に落ちていた指輪に注目、「被害者の右手中指にあった指輪を奪ってポケットに仕舞った」と男性に自供させ、検事いわく「しかしポケットには穴が空いており指輪は落下」 したがって殺害現場から指輪が発見されたとし、男性の犯行自供を強く裏付ける補強材料とした。

男性に対する公訴棄却後、弁護人に一通の手紙が届く。差出人は匿名ながら、内容から見て熊谷警察署の一員と思われる。

・・・殺害現場で見つかった指輪はサイズが大きく、被害者のものとは思えない、そう疑問を唱えたところ、先輩である警察官に「バカなことをいうな、いまさらそんなことを言ってどうするのだ、○○にしておけばいい、犯人は○○でいい」と、たしなめられたという。疑問を唱えた警察官の心中はいかなる思いであったか。