アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 592

【公判調書1860丁〜】

 *植木弁護人は、証人=新井 実(三十五歳・埼玉県警鑑識課職員)との問答から、証人の略歴や鑑識課の概要、鑑識の方法など具体的な情報を得ながらも、当初から見据えていたと思われる尋問の主題へと進み始めた。

               「第三十九回公判調書(供述)」②

植木弁護人=「(証人が指紋の付きやすい検体を並べ立てた後)万年筆は如何ですか」

証人=「万年筆は通常使用しているものですから、人体の脂、そういうものが付着しているわけですね。ですから、やはり指紋の隆線そのものが付きづらいということは言えると思うんです」

植木弁護人=「たとえば、その万年筆を通常使用している状態から解放されてですよ、たとえば捨てられているとしますね。それから仕舞ってあるという場合を考えました場合に、今、あなたがおっしゃった隆線の付きにくいという状態が変わってきますか、その時間の経過によって」

証人=「やはり、長年おきますと変わっていることがあるようですけれども、まあ、ただ仕舞っておいて、それがたまたま何かに触れてですね、それでその隆線模様を壊すということはあり得ると思います。損傷するということですね」

植木弁護人=「たとえば」

証人=「たとえばですね、コップで水を飲んでそれでお勝手へ持って行った場合、たまたまその勝手の茶碗同士が触れ合ってその指紋を損傷するということはあり得ると思います」

植木弁護人=「私の今お聞きしておいたのは万年筆のことなんですがね、万年筆に限ってお答え下さい。それで平常使用しているというものを何かの事情で使わなくなったと、それで相当期間そのままになっておって、それからまた人が使ったとしますね。そうしますと、あなたが先ほどおっしゃったように、平常使っておる状態のままで指紋検出しようとすると中々むずかしいとおっしゃるわけでしょう」

証人=「はい」

植木弁護人=「それをそのまま使わないで放置しておったものの指紋を検出することは、そういう継続した状態と違って、むずかしいか、やさしいかという難易の程度が変わりますかということです。質問わかりましたか」

裁判長=「ちょっと弁護人。前提として、万年筆はさっき人体の脂が付着するから中々指紋が付きにくいということを証言されたんですが、その万年筆の材料にもいろいろあると思いますが、たとえばプラスチックとか、昔のエボニーとか。前提としてどういう材料を前提として御質問なさるのか、専門家ですからそれを区別して答えさせた方がいいんじゃないですか」

植木弁護人=「それは万年筆の材料というのは比較的限定されておりますので、それを頭においてお答え下さると思いますから」

裁判長=「たとえば金属とかエボニー、それからプラスチック、いろいろなものがあります。それを頭において答えて下さい」

証人=「一旦さわったものを長年放置しておいた場合、その放置する以前と対比する場合に、技術的にどうかということですか」

植木弁護人=「そうです」

証人=「これはやはり放置する前のほうが指紋の検出はやりやすいと私は思いますが」

裁判長=「弁護人が聞いているのはね、たとえばね、(ボールペンを取り出して)こういう万年筆。これはボールペンだが、これを私が使っていて、一ヶ月なら一ヶ月使わないでおく。それをほかの人がきて、その万年筆を取り上げて使ったとか、いじった。要するに接触したわけですね。そういう場合に新たに接触してさわった人の指紋の検出がやさしいのか、やさしくないのかというような質問ですね」

植木弁護人=「つまりね、日常使用した人がどこかに放置したと、すぐそのあとで第三者がこれにさわったとしますね、そういう場合と、放置したのがそのままひと月かふた月経った後にまた第三者がさわったとしますね。そうすると、その第三者の指紋は付くか付かないか、採取しやすいか、しにくいか両者の比較です」

証人=「付く可能性は私あると思いますけれども、それを採取するのは先ほど申し上げましたように粉末の度合とか、そういう方法で多少変わってくると思いますが」

植木弁護人=「普段使っている万年筆ですと、人間の脂が付着しておるから隆線が付きにくいとおっしゃいましたね」

証人=「そうです」

植木弁護人=「そういう状態は、万年筆を今度ある程度使った後に使わなくなって、放置してあった状態が長くなっても隆線が脂などによって付着しにくいという状態は変わらないんですか、変わるんですか」

証人=「それは水分も多少ありますから、水分が蒸発してしまうということから考えますと、乾燥していることは間違いないと思います」

植木弁護人=「乾燥するとどうなりますか」

証人=「乾燥すると指紋の検出が困難な場合もありますし、また逆に、やりやすい場合がありますね、水分が蒸発したためにですね」

植木弁護人=「困難な場合、やりやすい場合というのは、それぞれどういう場合でしょうか」

証人=「それは水分が蒸発してですね、たまたまその粉末の度合が、この粉末は一本じゃないんですが、いろいろな粉末を使用するわけですが、混合の度合がたまたまそれにマッチした場合は取りやすい、その混合の度合が間違ったというか、たまたま加減の具合が悪かったために、むしろ悪い結果を招いてしまうということがあるという、こういうことですが」

植木弁護人=「そうしますと、ある調合した粉末を使ってうまくなかった場合、それがその状態にマッチしていないということから、調合を多少変更してやり直せばいいわけですか」

証人=「いや、これはいろいろ技術的にも問題点があると思うんですが、粉末がべっとりと付いちゃった場合、これはやはりもう救いようがないとされています」

植木弁護人=「最初にやったときですね」

証人=「そうです」

植木弁護人=「反対に、付かなかった場合には」

証人=「付かなかった場合には加減をしてやればいいということですね」

植木弁護人=「いったん付着しました隆線ですね、これはそのまま今度は誰もそれに触れない状態に放置しました場合に、これは材質によってもいろいろ違うでしょうけれども、どのくらい残存するものでしょうか」

証人=「これはいろいろな情報にも記載されているんですが、長いのですと十年くらい大丈夫だという説もございます。私、実際取り扱ったことはございませんが、情報などを見ますとそういうことが書いてあります」

                                            * 

○調書の引用は続く。

連休ということもあり、本日は以前入手した古本を整理し過ごす。

まずは再読する機会が多い古本を木箱へ詰めてみた。すると見事に冤罪事件関連で埋め尽くされ、今現在、私の脳を支配しているものが何であるか、客観的に証明することができた。いや、今やるべきことはそのような証明ではなく古本の整理であるが。

木箱に収めながら軽く一冊一冊眺めていたが、どうも昭和の時代に起きた冤罪事件が私の好奇心を激しく刺激するようであり、結果として写真に見られる古書の購入に繋がっていると、こう分析できた。いや分析などどうでもよく、整理である。整理整頓、これが本日己に課した行動計画であり、時間通り進まぬと晩酌時刻が後退してゆく事態に見舞われるのだ。