【公判調書1769丁〜】
ここには、被告人及び弁護団による高等裁判所宛の、昭和四十五年四月二十一日付「事実取調請求書」が載っている。その請求内容は第一から第四までの四項目にわけられている。
第一、鑑定
第二、提出命令等
第三、証人
第四、書証および証拠物たる書面
まずは「第一、鑑定」を見てみよう。
第一、鑑定
一、脅迫状(封筒とも)(昭和四十一年押第一八七号符号 一)の筆記用具及びインクに関する鑑定。
1.鑑定事項
(1)脅迫状(封筒とも)の文字等(線等により抹消した部分を含む)は、いかなる筆記用具により記載されたものか。使用されたインクはなにか。
(2)脅迫状の文字等は、すべて同一の筆記用具またはインクによって記載されたものか。
(3)脅迫状の加入訂正、抹消の部分、及び封筒の「中田江さく」ならびに抹消の部分は、いかなる筆記用具またはインクにより記載されたものか。
2.証明すべき事実
本件脅迫状の加入訂正文字や封筒の「中田江さく」の文字は、被告人が殺害現場において所持するボールペンで記載したとされている。しかし、これらはいずれも例えば万年筆のような、ボールペン以外のもので記載されたと認められるふしがあるので、この点を明らかにする。
二、脅迫状封筒の糊づけに関する鑑定
1.鑑定事項
(1)脅迫状封筒の糊づけ部分の糊の性質、種類はなにか。
(2)右の糊づけされている部分の範囲はどうか。
(3)右の糊づけの方法はどうか(例えば、あらかじめ封筒につけられている糊を唾液等で湿して糊づけしたか、あるいは封筒にはあらかじめ糊はつけられておらず、または、つけられていても全く別の糊を用いて糊づけしたか)。
2.証明すべき事実
脅迫状封筒の封は、糊づけされていること明らかであるが、それがいつ、いかなる機会に、どの様な方法でなされたかは、証拠上全く明らかでない。しかもこの糊づけは、封筒にあらかじめつけられている糊以外の糊によったと考えられる形跡があるので、この点を明らかにする。
三、腕時計(昭和四十一年押第一八七号符号六一)に関する鑑定
1.鑑定事項
腕時計は、原審検証調書「時計発見地(一)(二)」の場所に、中村雅郎作成「気象状況について(回答)」の示す気象条件下で、五月十一日から七月二日までの五十日間余、放置されていたと認められる痕跡があるか。
2.証明すべき事実
腕時計は、昭和三十八年五月十一日、狭山市田中の砂利道に捨てられ、同年七月二日、付近の道路端茶株の下から発見されたとされているが、現在におけるその外見上からも、このような場所、状態に長期間放置されていたとは認められないので、この点を明らかにする。
四、足跡に関する鑑定
1.鑑定事項
(1)昭和四十一年押第一八七号符号五の石膏(足跡を採取したもの)に付着している土壌と、昭和四十一年押第二十号符号三の石膏型成足跡中、A6、A7、A9、A11、 に付着している土壌とは同一であるか。
(2)右の各足跡は、同一条件の土壌に印象されたものと認められるか。
2.証明すべき事実
昭和四十一年押第一八七号符号五の石膏足跡が、真実現場から採取されたものであるかどうかについては、重大な疑問がある。そこで「足跡現場の土で畑とほぼ同一条件の状態で土を盛り足跡の印象実験を行なった結果の足跡」(関根政一、岸田政司作成鑑定書)とされる昭和四十一年押第二十号符号三の石膏型成足跡中のA6、A7、A9、A11との付着土壌、印象条件の異同を対比し、この疑問解明のための資料とする。
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○以上が事実取調請求書の第一項目である。ところで、狭山事件における、身代金受渡現場に現れた犯人を警察が取り逃すという失態は、同年三月に発生した吉展ちゃん事件に次ぐもので、石川一雄被告人逮捕前の段階で両事件は未解決という惨憺たる状態であり、国民からの批判は相当な打撃であったと推定される。なにしろ当時の国家公安委員長篠田耕作をもってして「捜査のしかたがいかにも幼稚だ。懐中電灯を忘れて行ったり、威かく射撃もしないようでは、逮捕できなかった責任を警察に求められてもやむをえない。吉展ちゃん事件以上の不手際だ。犯人が頭を使ってきているからには刑事も頭を使うべきなのに、これでは銭形平次捕物帖のような感を与える。鬼ごっこではあるまいし表側だけを見張って裏側はガラ空きでは話にならない(五月四日付『毎日新聞』夕刊)」と言わしめたほどだ。
警察が容疑者を逮捕できないということは、主導権が犯人側にあることを意味し、逃走中の容疑者がそれを自覚しているかどうかは別として、これを捕まえられぬ警察への批判だけは日々増してゆく。結果追い詰められた警察組織は容疑者の選別がおろそかとなり、「はらがたつ だれかてきとおに たいほせえ(グリコ森永事件・かい人二十一面相のすぐれた名言)」との、あってはならぬ判断を強いられ迷走した挙句、本件が作り出されたと、あながち間違いないと私は見ているのだが。
(グリコ・森永事件犯行グループより出された挑戦状は優れた文章力を誇った。ならば彼等に直木賞、芥川賞を与え、その授与式場で身柄を押さえる、という捜査手法はどうかと考えるも、やはり彼等なら身代わりを送ってよこし、警察による誤認逮捕を導き、これを関西弁による挑戦状で嘲笑の的にするであろう)