アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 575

【公判調書1747丁〜】

「第七回検証調書」検証の結果

二十一、被告人が五月一日に歩いたという経路。

(前回より続く)続いて同経路は、同所からほぼ南東方に向かい同図の地蔵菩薩の真北辺りで左折するが、71点からこの左折地点までの道路とほぼ同じくらいであり初めの部分は舗装されているが途中から非舗装になっている。なお、71点から同図に表示されている慈眼寺前(北東側)辺りまでが概してやや急な上り坂になっている。

同経路は右地蔵菩薩の真北辺りで左折してから入間川小学校の裏(北西側)を通り同校とその東側にある幼稚園との間を通ってその南東側にある道路に出るが、まず地蔵菩薩の真北辺りで左折してからは約十メートルほどの間が上り坂となっているが、それから入間川小学校の敷地に入るまでは人一人が通れるだけの幅のほぼ平坦な道である。

71点を過ぎて間もないところからここまでの間には右経路に面している人家はほとんどない。入間川小学校の敷地に入る手前のところから同校舎の裏を通り同校を幼稚園との間を通ってその南東側に出るまでの間の状況は本調書に添付の写真(78)ないし(82)に見られるとおりであった。

(写真78)

(写真82)

続いて同経路は幼稚園の南東側の道路を通って入間川駅前から前記山八園方面に通じている道路を突き抜けて入間川駅荷小屋に達するが、幼稚園の敷地より約三メートルほど低くなっており、同校敷地からこの道路に降りるところは不規則な形の階段状になっている。この道路に出てからは、右入間川駅から山八園方面に通じている道路に出るまでは幅員一.五メートル程度、同道路を突き抜けてから右荷小屋前に出るまでは幅員二メートル程度のいずれも舗装されていない道路である。

以上入間川駅前から出発して荷小屋に至る経路上には人の通行の不可能なところはなく、また、特に通行困難なところもなかった。

右の一、二、五、八、九、十、十一、十三、十四、十五、十六、十七、十八、二十、二十一の各検証現場の位置あるいは経路については、第一回ないし第四回検証調書に記載のとおりであるからこれを引用する。

昭和四十五年八月三十一日東京高等裁判所第四刑事部裁判所書記官 飯塚 樹   

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(念のため再び載せる。第四回検証調書添付第三見取図)

(一部拡大)

以上が「第七回検証調書」である。