【公判調書1746丁〜】
「第七回検証調書」検証の結果
二十、入間川駅前及び荷小屋
入間川駅前及び荷小屋の状況は第四回検証調書に添付の写真⑰⑱⑳㉑に見られるのとほぼ同様であったからこれを引用する。
(写真⑰)
(写真⑱)
(写真⑳)
(写真㉑)
但し、荷小屋の西側荷小屋から数メートルを隔てたところにガードレールが設けられておりそのガードレールより西側の道路が舗装されている点は同調書に添付の写真⑱、⑲に見られる状況と変わっていた。
(写真⑱。やや拡大してあり、中央の黒い線は被告人が歩いた経路との説明書きが確認できる)
(写真⑲)
(写真⑲の説明文)
その状況は本調書に添付の写真(71)、(72)に見られるとおりであった。
(写真71)
(写真72)
*狭山事件公判調書第二審の引用は続くのだが、その資料に残された写真を眺めていると、その光景はどうしても自身が育った昭和の懐古とつながり、さまざまな過去の記憶が呼び起こされるのである。例えば、すでに時効であろうが、私の故郷、岩手県水沢市において、まぎれもない小学三年の時、廃車ヤードに捨てられていた軽自動車内で、悪友と共に爆竹を破裂させ歓喜に浸っていたが、その花火片がガソリンタンクに、いや記憶を辿ると、確かバックシートのスポンジ部分に引火し煙が立上り、やがてゴウゴウと良く燃え上がる車に恐れをなしつつ近所の雑貨屋女性店主に「すみませんが、裏の方でなんか燃えてますよ」と伝え、競歩選手よろしく現場を去った記憶が蘇る。友人宅に辿り着く頃、町は消防車のサイレン音で溢れた。燃えた車両はホンダN360、廃車体の群れから離れた場所に放置してあり、周辺への延焼は免かれていたことを、後日密かに確認した。幼少期、この様に他人に迷惑をかける日々を送った原因は、己の精神構造に問題があったことは間違いないが、今もってそれが何だったのか分からないままだ。いずれ答を見つけたい。
なお、雑貨屋女性店主の娘は私と同級生であり、色黒の可愛らしい娘であった。