アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 545

【公判調書1716丁〜】

「自白の生成とその虚偽架空」           弁護人= 石田  享

四、自白の虚偽架空

(三)客観的事実に反する自白

1.荒神様(三柱神社)のところを被告人は通っていない

    毎年五月一日は、蚕の神を祀る三柱神社のお祭りであった。本件当日も祭りであり、流行歌のレコードが大きくスピーカーで流されていた(野口清之丞6・27員 梅沢調書、6・28員 上野、梅沢捜査報告書)。従って、もし被告人がここを本当に通ったものとすれば、当然スピーカーで流されていたレコードの歌を聞いており、そのことを述べた筈であった。原検事はこの点につき、特に被告人に対し「レコードがかかって流行歌等歌っていたのではないか」と追及しているが、被告人は「それは聞きませんでした」と述べている(被告人の38・7・1原 第二回調書一項)。これは被告人が当日の状況につき無知であり、事件当日荒神様の所を通っていなかったことを示すものである。荒神様の所を通った旨の自白は明らかに客観的事実に反する。

(石川被告人の自白では、この横を通り過ぎたことになるが、当時五月一日は荒神さまのお祭りでありながら、誰一人石川被告人を見た者はいない。写真は"無実の獄25年・狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社"より引用)

2.山学校附近の十字路で自転車に乗って来た被害者を捕まえ、山に連行したという自白は客観的事実(注:1)に反する。

(1)被告人の当審供述と横田、横山証言

被告人は当審供述で「“その場所は、三輪車を置いて畑仕事をしていた人達があるから被害者を捕まえられるわけがない、その人達に見られる” と警察官に言われた。警察官は図面を見せた。その図面には車の形を書いて丸で囲ってあった」と述べ、取調官から、農家の人がその附近の道に自動車をとめ畑仕事をしていたので、その附近で被害者を捕まえられるわけもないし、被告人が自白した道を連行することも出来ないからその供述は信用できない、と言われたという。

当審第二十七回公判で横山ハル、横田権太郎両証人は、その日、この近くの畑で仕事をしていたことを明らかにした。とくに横山ハル証言によれば、自白によると連行したまさにその道に、ダイハツの自動車を止めて長男と一緒に桑畑の手入れをしていた。従って、仮にもし被告人が自白通りに被害者を捕まえ、連行したものとすれば、被告人はその人達や車を見ていた筈であり、そのことを述べたに違いない。ところが、自白調書には逆に「近所に人がいなかった(二十七日付青木第一回調書二項)」「その近所には誰もいなかった(六月二十九日付青木調書十一項)」「その場所の附近は畑や山で人通りもなく淋しいところで(七月一日原 第一回調書七項)」等々繰り返し、誰もおらず車もなかったことが記載されているのである。

被告人はその日この場所を通らなかったからこそ、そこに人がおり、車も置かれていたことを知らなかったのである。この点でも客観的事実に反する。

のみならず、我々が両証人及び弁護人請求の高橋ヤス子の存在を調査し出したのは、被告人から「取調べ中、取調官からこういうことを言われて調べられたから、調査してほしい」と言われたからであった。弁護人にはその時までこれらの事実を知る何らの手掛りもなかったし、それ以後の調査も中々具体的手懸かりが掴めなかった。かなりの日時を経過してから、被告が取調官から聞かされた通りの証人が現れた。そしてこのことは被告人もまた取調官だけから知り得たものであった。従って両証人の証言は、自白の虚偽を暴き同時に被告人供述の真実性を裏付けるものとなった。

*次回(2)へ進む。

(注:1)引用文にある「自白は客観的事実」という箇所は一文字足してある。原文には “自白客観的事実”(写真)と記載されているが、何度読み返しても違和感を感じ、それではと、“自白”と“客観的事実”との間に副助詞である “は” を挿入してみた。再び読み返してみると、すんなり意味が通じ、まことに正しい日本語に仕上がったと思われる。

尚、こういった行為(改文)は、原文に手を加えたという点で、公判調書引用ブログとしてはその資料的価値が大幅に損なわれることになろう。ところで裁判の記録過程において校正という作業は組み込まれているのだろうか。少なくとも狭山事件公判調書においては、読み手が校正を兼ねよ、という姿勢が明確に伝わってくるのだが。