【公判調書1719丁〜】
「自白の生成とその虚偽架空」 弁護人=石田 享
四、自白の虚偽架空
3.カチャカチャ音がする筆入れを尻のポケットに入れて被害者宅に行くことはあり得ない。
被告人の7・1 原 第三回調書四項記載によれば「・・・鞄の中の本を出して・・・その時筆入れが一緒に出てカチャカチャ音がしたので開けてみたところ万年筆が入っていたので万年筆は筆入れに入れたままズボンの尻のポケットに入れました」とある。要するに、そこから帰宅までの間、被告は動けばカチャカチャ音のする、万年筆が入ったままの筆入れを尻のポケットに入れて長い行動をとった、というのである。
随分「犯人」としては間抜けである。否、気狂いか馬鹿者(注:1)の「犯人」である。被害者宅を尋ねたり、スコップを盗んだり、死体を引上げたり、土を掘って埋めたりする、その夜の全犯罪行程を尻のポケットからカチャカチャ音をさせながら行なうなどということは経験則上あり得ない。この自白が虚偽であること多言を要しない。
(注:1)気狂い・馬鹿という言葉は、現在では差別用語、放送禁止用語とされている。
4.思い違い、間違っていた、よくわからない、記憶しないなどの自白。
(1)6・25青木調書の位置とその特徴
被告人の狭山事件自白調書自体の流れに即してみれば「五月一日の犯行自白」を記載する6・25(員)青木調書は、いわばそれまでの自白調書を大きく修正しながらまとめ上げたもので、その後の警察、検事自白調書の出発点となっているものである。
いわば全自白調書の柱とも言うべき位置を占めるこの6・25(員)青木調書には、しかし重要な特色がある。主な点を拾えば、第一は取調官が自白を全面的に信用できないと考えていたことであり、被告人もまた他人事のような供述をしていることである。
「・・・・・・今までの調べの時、話をした中で間違っていたことや話し足りなかったことがありますから・・・」という冒頭(一項)の記載から始まりながら、最後に「今まで話したことに大体間違いないと思いますが、間違っていたことがあったら後でなおします」という結び(十六項)で終わっていることに端的に現れている。青木ら取調官の自白に対する深い不信と、「犯行」をいくら空想してもなお「パス」させられない被告人の「自白」の状況が浮き立っている。
第二の特色は、肝心かなめの犯行状況について、被告人が全く無知であることを告白していることである。
「私が押さえつけていた右手を外したのは私がおまんこをやっていい気持ちになる前でした。そしてやり終わってみたら善枝ちゃんはまだ暖かかったけれどももう死んでいました。
問、人が首を押さえ付けられれば死んでしまうことはわかっていると思うが。
答、私はおまんこするのに夢中で騒がれないように首をしめていて気がついたら死んでいたのです。
問、死ぬ前にはふるえがあったと思うがどうか。
答、気がつきませんでした」(三項)。
また、犯行現場附近に真犯人が捨てていた地下足袋のことを取調官が意識してそのことを尋ねると被告人はそれを全く知らないのである。
「問、君はシャベルを捨ててからかその前かに、その他捨てたものはないか。
答、ありません」(末尾)。
時間についての調書記載は取調官の誘導ないし押し付けによるものであろうが、それにしても「時計所持」との関係で辻褄の合わない奇怪な供述記載となっている。
「私が豚屋のシャベルを盗って善枝ちゃんの身体を隠しておいた穴ぐらのところへ帰って来たのはこの前話した通りで、正確な時間は分かりませんが午後七時四十分頃ではないかと思います。
問、善枝ちゃんの家へ手紙が届いたのは大体七時半前後頃と云っているがどうか。
答、私は時計を持っていないから分かりません」(十一項)。
これをみれば午後七時四十分頃というのは、被告人が言い出したことではなく、取調官が被害者宅に手紙が届けられたという時間を予め被告人に分からせる努力をして被告人に言わせたものであり、後の問は、時間の点の誘導を隠すために確認の形にして記載したに過ぎない。
ところで、取調官はここでも大変な忘却をしていた。「自白」によれば被告人は被害者宅に行く際には被害者の女物時計を所持していたのであった(6・24青木第三回調書四項、6・25青木調書五項)。しかし、実際に犯行をしていない被告人は、時計を持った旨自白していることを忘れて「私は時計を持っていないから分かりません」と言ったのであり、取調官も被害者の女性用腕時計のことを「ウカツ」にも忘れて、被告人の言う通りこの答を記載してしまったのである。この調書は物証として、先ず鞄と万年筆のことから始められ(一項)、時計の事は、ことのついでに触れている程度で(五項)取調官が被害者の時計のことを忘れることは大いにあり得ることである。
こうした6・25(員)青木調書の特色は他の「自白」調書のほとんど全てに共通する特色でもある。ここでは、いかに「不知」の供述記載が多いかを若干指摘するに止める。
*青木調書の特色、「不知」の供述記載の多さ、その指摘である(2)は次回に引用しよう。