アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 546

【公判調書1718丁〜】

「自白の生成とその虚偽架空」           弁護人=石田   亨

四、自白の虚偽架空

2.山学校附近の十字路で自転車に乗ってきた被害者を捕まえ、山に連行したという自白は客観的事実に反する。

(2)被害者の通学路

被害者が川越高校入間川分校に届出ていた通学路は、自宅から権現橋、佐野屋の脇、薬研坂を通り狭山精密前、更に入間川四丁目を通って学校に行く道順を往復することであった(検察官一審冒頭陳述一の〈二〉)。また、川越高校入間川分校から見て堀兼と同じ方向にあたる赫下に住む生徒の多くが届出ていた通学路は、人通りの多い田中通りだったようである。事件直後の新聞報道は、「善枝さんの同級生、佐野とよ子さん(狭山市赫下)の話」として「善枝さんは同じ中学から入学した数少ない友だちですが・・・・・・私は登下校に上級生と自転車で人通りの比較的多い田中通りを通るが、善枝さんは一人だけ近道の寂しい"薬研坂"を通っていた」旨伝えている(38・5・4読売新聞)。

ちなみに事件直後五月五日頃、被害者の中学時代一年下級生であった奥富孝志少年(当時、堀兼中三年)は、五月一日午後三時半頃、狭山市沢一〇四一番地関口自転車店近くで、自転車に乗って来る被害者と出会ったと供述している(38・5・6毎日新聞夕刊、同日付読売新聞夕刊、同日付朝日新聞夕刊)。これは田中通りを通って右折して踏切を渡り沢部落を通るコースである。こうした事実から見るならば、被害者は仮に届出のコースを通らなかったとしても、田中通りのコースを通っているものとみられ、それ以外の第三の道を通ったと考えることは困難である。自白調書だけが、山学校附近に被害者を忽然と現す独り芝居を演出しているのである。

(3)柿の木と桑の木

被告人6・27(員)青木第二回調書添付図面(2)によれば「出会い地点」から図面に向かって右脇の方に、独立した形で樹木のような絵が書かれており、その下に「かきのき」と横書きされている。

一審検証に立会った原検事は、「被告人が『被害者と出会った地点の附近に柿の木があった』と述べているが、その木は実はこの桑の木である。現在この桑の木は切られているが、当時はこのように立っていたものである」と、特に指示説明していることが注目される(一審検証調書8)。

しかし桑の木と柿の木を間違えることは、都会育ちの都会暮らしのものならばともかく、蚕の盛んな(例えば荒神様=三柱神社は蚕の神を祭ってある)農村地帯で育った被告人には絶対あり得ないことである。桑の木と柿の木の違いは一見して明らかである。その意味で、被告人が桑の木を柿の木と間違えた旨説明しようとする原検事の指示説明は、実は自らの思惑が外れたことの告白である。原検事らは、出会い地点に関する自白が何の裏付けも無く、逆に農民や自動車の存在を知っていればこそ、自白の裏付けになるものを欲し、「桑の木」をその裏付けに当てはめようとしたのである。ところが、五月一日に山学校を歩いていない被告人は、原検事らが念頭においた桑の木の存在を知らなかったまでの話である。被告人が努力して想像したのは柿の木であった。

*次回、自白の虚偽架空・3へ進む。