アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 494

【公判調書1605丁〜】

「現場足跡は偽造された」                                植木敬夫

四、鑑定の怪

足跡に関する捜査のやり方の、以上のような奇怪さは、採取したと称する足跡に基づく鑑定のやり方にも及んでいる。(註、ここでは、鑑定全体を批判するのではない)

(一) 『警察技師関根政一と岸田政司が作成したという足跡鑑定書をみると、彼らは対照足跡を作成するために、警察技師加藤幸男と被告人に、それぞれ押収地下足袋(証二十八の一)を履かせて、土の上に足跡を印象させている。不思議なことには、このうち加藤技師には「堀兼字吉野七八三番地の畑、すなわち足跡印象現場の土を・・・鑑識課に運搬し・・・該土で畑とほぼ同一条件の状態で土を盛り足跡の印象実験を行なった」(同鑑定書)のに、被告人に対しては、それをしていない(していてもそれを鑑定資料にしていない)のである。しかし、この土は「狭山警察署で採取したもの」で、それを六月一日に県警鑑識課へ運搬したということになっているが、他ならぬこの六月一日に、彼らは狭山警察署に行って、被告人に別の土で足跡印象実験をさせたというのである。そうとすれば、この現場の土は、被告人に右の実験をさせるため狭山署に行ったとき、ついでに県警まで運んできたに違いない。ともかく、狭山署に現場の土があり、被告人がそこにいるのに、被告人にはその土で実験せず、わざわざ「留置場前のコンクリート上に砂土を積み、軟土地面とほぼ同一条件と」しするという面倒な努力をして、別の土で実験させたのである。

考えてみれば、足跡は単に履物の形状だけではなく、足の踏みつけ方や、踏み出し方などの個人的習性の差によって、その全体の形状が影響を受けるのであるから、現場の土がある以上、被告人にこそ、その土で実験させることが何よりも必要であることは初歩的な常識ではなかろうか。このことに比べれば、第三者に実験させることは、科学的にまったく不必要であるか、せいぜいのところ、ほんの参考資料程度になるに過ぎない。したがって、われわれは、この鑑定のやり方自体に、人には言えない、何か別の思惑や目的があった、と考えざるを得ないのである』

*次回、(二)へ続く。