アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 495

【公判調書1606丁〜】

「現場足跡は偽造された」                                植木敬夫

四、鑑定の怪

(二) 『わたくしは、ここで決定的な証拠を指摘しよう。鑑定資料(二)(一)の右足地下足袋は、拇趾が下へ強く屈曲し、第一趾以下が反対に上に屈曲して、双方が大きく喰違っていることに大きな特徴があるとされ、それは「製造時または履き癖により歪が固定し」たものとされている。そして、鑑定資料(一)(2)(3)の現場足跡(右足)も、対照資料も、すべてこの特徴が顕著に出ていることが繰り返し強調されている。

この地下足袋には、確かに右のような特徴があるように見える。しかし、常識的に考えると、製造時にこのような固定癖が付くことは、まず考えられない。何故なら、ゴムは一定に型に流し込んで固めるのであるから、その時にこの様な変わった癖が出来る可能性は、一般的に言って無いからである。したがってこの特徴は、常識的に言ってこれを常用した者の履き癖によるものと考えなければならない。ところが、これの常用者は、所有者である被告人の兄六造であることは、本件記録上明らかな事実である。六造の地下足袋に、どうしてこんな固定癖が付いたのかは、それ自体なかなか想像しにくい問題であるが、この際は、それは問題ではない。

問題は、地下足袋自体に固定癖があることと、それを第三者が履いた時、それが、そのまま出るかどうかは別問題だということである。何故ならゴムは軟らかく人間の足趾の力より弱いから、この地下足袋の趾の癖とは違った趾を持った人がそれを履けば、当然この癖は修正をされるはずだからである。被告人の足の大きさは十文半である。この地下足袋は九文七分である。であるから、被告人がこの地下足袋を履くには、趾を全部下に強く曲げて、力一杯足を小さくして履かなければならないことは説明するまでもなく、誰にでもわかることである。そうとすれば、拇趾は他の趾より大きいから、確かに他の趾より深く印象されることになるであろうが、同時に、他の四趾も、それを下に曲げることによって地下足袋の原型が修正され、拇趾跡と他の四趾跡の落差は、その固定癖よりも小さくなるに違いないのである。

したがって、鑑定資料(一)(2)(3)の現場足跡が、その拇趾と他の四趾の落差が(二)(1)の地下足袋固有の落差に近いとすれば、それは、被告人が(二)(1)の地下足袋を履いて歩いたことを証明するのではなく、反対に、被告人のものでないことをこそ証明するのである。

しかしここに、もし九文七分の大きさの足を持った人がいて、この(二)(1)の地下足袋を、趾に力入れることなく素直に履くことができれば、普通の状態では趾に力を入れる必要がないから、そのまま軟土の上を歩けば、地下足袋の癖が比較的素直に印象されることは考えられないことではない。こう考えると、加藤技師がもし九文七分の足の持主なら (三人の技師のうちで、彼がわざわざ履いて実験したのであるから、多分彼の足は九文七分に違いない)、彼が印象した足跡は、被告人のものよりは、地下足袋の固定癖に近い落差を現すに違いない。

さて、以上の考察の上に立って、対照資料のA号、つまり加藤技師の足跡石膏とB号、つまり被告人のそれとを対比してみよう。そうすると、一般にA号の方が落差が大きく、鑑定資料(一)(2)(3)の現場足跡の落差に近似しているが、B号の方は、それより平均して落差がずっと小さいことが一目瞭然である。このことは、法廷に顕出された石膏そのものを検証すれば良いが、鑑定資料添付の写真で言えば、第五十九図上段の写真を見ればよい。符号2.3の鑑定資料と酷似しているのはA16であて、B1と B10は、落差がはるかに小さいのである。してみれば、鑑定資料(一)(2)(3)の足跡は、同じ(二)(1)の地下足袋の跡であるとしたら、それは被告人の足跡ではなく、むしろ加藤技師の足跡と云うべきである』

*引用文にある “鑑定資料” が手元になく、公判調書を読み進める際には非常にマイナス要素となる。随分と某図書館・郷土資料室(狭山事件公判調書が保管してある)で資料を漁ったが、見つからず・・・。