アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 479

【公判調書1586丁〜】

                           「狭山事件の特質」

                                                                         中田直人

第四、証拠評価の態度

3.『更に、長谷部証言をみると、「縄は、農家ではなく普通の勤め人の家庭だったので、捜査員が聞込みに行かなかったと思う。捜査員は大体、農家の聞込みをした」というのであるが、これに至っては、中川ゑみ子、余湖正伸の当審第十四回公判証言でそのウソが露呈されている。中川証言は「新聞を見た五月四日か五日頃参考までにと思って、縄が五月二日なくなったことを聞込みに来た刑事に話した。警察は何度も来て、三ヶ月に渡って縄のことばかりしつこいほど聞いた。あらゆる刑事が一日に何回も聞きに来た。五月十二日お産で入院したが病院にまで来るというので主人が断った」と述べ、余湖証言は、「死体発見の日からすぐ、椎名方の建築現場で三人で話をしているところに刑事が来て、縄がなくなっていないかと聞かれたので初めて気が付いた。それまでは全然気が付かなかった。警察の人は毎日のように午前、午後と聞きに来た」と述べている。

長谷部証人が、被告人に縄の場所を教えた事実を躍起になって否定すればするほど、その証言の虚偽があからさまになり、逆に被告人の供述が真実味を帯びてくるのは当然ではあるまいか。縄の出所を誘導したことがない、という長谷部証言は明らかにウソをついている。これと対比して、彼がウソを述べている事実によって被告人の供述の信用性は高められる。何故なら、被告人の供述が作り話である以上は、彼は少しもウソを言う必要がないからである。捜査官証言は、どんな場合にも鵜呑みにすることができない、慎重に吟味しなければならない、という教訓が与えられる。被告人の自白の真偽を判断し、自白が強制または誘導をされたと被告人が述べているとき、先ず捜査そのものに対する批判がなされなければならないのである。刑事事件における証拠評価の一つの前提でさえあるといえる』

(続く)

(写真は手持ちの資料より)