アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 512

【公判調書1637丁〜】

第一     遺留品をめぐる問題                              橋本紀徳

 四、荒なわ

(2)本件死体に荒なわが関係していることは、死体発見直後から大々的に報道されている(五月四日夕刊各紙、五月五日朝刊各紙)。

中川ゑみ子は当公判廷において、新聞で「荒なわ」のことを読んだ直後、聞込みに来た警察官に荒なわが紛失したことを告げたと供述している。余湖証人も同旨の証言をしている。その后も警察は何回となく聞込みに来た。従って捜査官は、つとに中川・椎名方より紛失した荒なわが本件の荒なわではないかと推測したに違いない。

ところが、当時捜査に重要な役割を果たした警察官である将田証人や長谷部証人は本法廷で、被告人の自供によって初めて荒なわの「出所」が判明したと述べている。また、検察官の一審冒頭陳述の際にも、荒なわは被告人の自供を得て初めて判然としたとの主張をしている。しかし、これらは中川・余湖の両証言に照らして到底信用することはできない。長谷部や青木など、当時直接被告人を調べていた捜査官であっても、少なくとも五月中旬には中川・椎名宅の荒なわ紛失を知っていたに相違なく、彼等は荒なわの出所について被告人を優に誘導できる知識を持っていた。

被告人が、三回及び二十六回公判で、荒なわの出所は「長谷部さんが、中川ゑみ子と云う人の家の垣根のところだと教えてくれた」と云うのは真実を述べているのである。(ちなみに荒なわの出所に関する最初の自白は六月二十五日付の警察官調書である。)

荒なわの出所に関する自白は、所詮捜査官の誘導の所産に過ぎないのである。

 

(3)このことは自白内容を仔細に検討してみると一層うなずける。六月二十五日付の警察官調書第八項に「私は、縄を探すためには人の住んでいる家の方が良いと思って家のある方へ行ったのです」とあるが、当時、殺害現場を少し出た茶畑などには荒なわが多量に敷き込んであり(十七回公判・原検事の証言={死体発見現場から四本杉の方に茶畑がありますが、その茶畑に縄が敷き込んであります}、朝日新聞・三十八年五月十日付東京十二版 “ナワに新事実 ” =犯人が被害者中田善枝・十六才を運ぶのに使ったとみられる古ナワが、死体発見現場の南方二百メートルの畑の中に放置されていたものであることを確認した)、附近の地理に明るい者ならそれを知っている。被告人は附近の地理に明るく、また四月三十日にはその附近の山を歩いて荒なわのあるのを現認している(二十六回公判供述)。わざわざ危険を犯して人家附近までなわを盗みに行く必要はないのである。

さらに疑問なのは、中川宅の荒なわを盗んだと云う点である。中川宅と椎名宅との境界に八本の杭があり、なわは、その最初の一本から上下二段に渡って杭から杭にぐるぐると巻きつけて結び付けられていたものである。従って、これを外すには、最初の起点の杭の結び目を解き、それから一本一本、杭についてこれを解きながら最後にまた終点の杭の結び目を解かなければならない。さらに上下二段あるので、上ばかりか下の段もまた改めて起点の杭から解き始め、前と同様の繰り返しをしなければならない。これを、まだ明るい六時頃、他人の家の庭先でやったと云うのである。このなわを盗る者は、いま人を殺してきたばかりの殺人犯である。しかも、まだ計画の全部は終わっていない。出来るだけ人目をはばかり、目立たぬよう行動しなければならない筈である。検証の結果、当裁判所にもお分かりのように、中川証人の家から、なわの張ってある庭先までの距離はわずか数メートルである。視界をさえぎるものは何もない。中川宅の家人に見つかる公算極めて大きい。

十四回公判の中川ゑみ子の証言で明白であるが、建築現場には沢山の荒なわが落ちていた。若し、なわが必要なら落ちているのを拾えばいい。これなら、たとえ人に見つかっても、庭先にわざわざ張ってあるのを外すよりは人目にも付かぬし怪しまれることも少ない。

また、建築現場の東、西、南にも、なわが張ってある。こちらの方は、杭も少なく張り方も簡単である。第一、芋穴の方からやって来れば、まず目につくのは椎名宅に張ってあるなわである。なわが欲しければ、先ず、これを盗ればよい。なぜ、わざと、後ろに廻り、より危険な中川宅のなわを外す必要があったのであろうか。中川宅に飼犬がおり、犬小屋となわを張った杭までの距離も数メートルである。余湖、中川証言によれば、南側と西側のなわは残り、東側と北側のなわが紛失したことになり、まことに不自然と云う他ない。

本件の真犯人が中川宅のなわを盗んだと云うのは到底理解できない。大野喜平の死体発見現場に関する実況見分調書中に、死体に付着していた荒なわは、甚だしく濡れ、泥に汚れていたとあるが、その感じは、むしろ土の上に直接敷き込んであった荒なわを思わせるのである。

以上のとおり、荒なわの出所に関する自白は明白に客観的事実に合致せず、また、その盗み出す状況の説明も極めて不合理、不自然で、到底信憑性をもち得ない。この矛盾を見逃して有罪とした原判決の誤りは、やはり許すことのできない大きなものである。

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