アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 480

【公判調書1587丁〜】

                          「狭山事件の特質」

                                                                         中田直人

第四、証拠評価の態度

4.『そこで更に進もう。長谷部証言の第九回公判調書によれば、「死体の状況は最初、やらんから判らんと言っていたが、被害者の父に詫びたいとか手紙を出したいというようになってから、死体をどういう風にしてどうしたということをはっきりすらすら言った。死体の状況は非常によく知っているようだった。首に縄を巻いたと供述したかどうかの記憶はない。私は縄で絞殺したとは思わなかった。縄は凶器として使われたものではなく、死体を運ぶときに使われたもので、それが死体にかかっていた。つまり、死体を先に入れてその上に縄を落としたんだということで取調べに当たった。そのことについては大して重きを置かなかった。縄が首に巻いてあったと解釈すれば別だが、あのときは縄が首にかかっていたというか、縄が死体の上にのっていたという状態であった。その縄のことについてはそう重きを置かなかったように思う」というのである。刑事調査官であり本件死体発掘に立会った長谷部としては、あまりにもお粗末である。しかし、この証言は取調当時の長谷部の死体の状況についての認識を示している。

長谷部は、全く事実に反することではあるが「死体の首には縄は巻かれていたのではなく、かかっていたのである」という風に理解していたのである。長谷部がここで、意識的にウソを言う理由はあろうはずもない。客観的事実を正確に認識し、それに基づいて捜査するのではなく、ただひたすら被告人の自供を強いる警察官の姿がこの証言に端無くも表れている。長谷部のこの誤った認識が、七月四日付検察官調書に至るまで、首に巻きつけられた木綿細引紐が被告人の自供に登場しない、ということに反映したのである。こうして、この点に関する被告人の自白内容は長谷部の誘導の所産であることが、もはや一点の疑いもなく明らかにされた。

ここから引出されたもう一つの結論は、縄の使用方法に関する自白は取調官の誘導の所産であったということである。したがって縄の出所に関する自白もまた誘導された結果と見ることが許される。こうして、この法廷で被告人が述べるところは完全に裏付けられることとなる。証拠物そのものの直視、客観的に認識し得る事実の尊重、捜査官証言に対する警戒心、批判、こうした配慮と当然の証拠評価が、本件ではすべての問題について尽くされねばならない。そうしさえすれば被告人のこの法廷の供述が真実であることが明瞭となることであろう』(続く)

写真は「無実の獄25年・狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部編・解放出版社」より引用。