アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 163

(続き)*その他*「日本とドイツなどの当時の後進国で、強大な国家権力のもとに近代化を遂げた国家では、ほとんど筆跡鑑定に関する問題が起こっていない。しかし、これは鑑定が公正になされていたからというよりは、むしろ批判が抑えられていたからというほうが真実であろう。一九四八年静岡県清水市で小切手詐取事件があった。詐取された小切手の裏書の筆跡が被告人某の筆跡と一致するという鑑定が、我が国の最高といわれる鑑定人三人によってなされ、そのために被告人某は一〜二審とも有罪の判決を受けた。その後、間もなく真犯人が現れ、上告審で被告はやっと無罪になったのだが、こういった事件が起きても、筆跡鑑定に対する反省は、裁判所側からも一般世論としても全く起こらなかったことは理解に苦しむところである。ドイツでも、一八七七年には法律的に筆跡鑑定の項ははっきり定めてあるが、筆者の不勉強のせいであるかもしれないが、筆跡鑑定で社会的な問題になったことがあるということを聞かない。アメリカでは、はじめはイギリスの直輸入であったが、国づくりが民主主義的であったため、筆跡鑑定に対しても批判に応えられるように注意深く取扱われている。筆跡鑑定が犯人捜査の段階で大いに役立ったという歴史上の例は、アメリカ的プラグマティズムの成果の一つであろう。その一例を挙げると、ハーバード医科大卒業のパークマン博士が行方不明になったという事件があった。ところが『私はしばらく旅行する』という趣旨のパークマンの手紙数通が、パークマンの住んでいるボストン市理事者に届いた。この手紙の筆跡の鑑定によって、これはパークマンのものではなく、同じ医者のウェブスター博士の筆跡ではないか、ということになり犯人が捕まったもので、一八五〇年の事である。最近では、どこの国にも筆跡鑑定が犯人を追うための有力な手がかりになった例は多い。しかし、犯人の残した筆跡ばかりが唯一の物的証拠であるとき、果たして現在の筆跡鑑定だけで犯人であると断定できるであろうか。またそれは、どの程度の確かさとして用いることができるものだろうか」・・・以上で参考資料:1「筆跡鑑定いまむかし」(科学朝日・一九六六年六月・戸谷富之)の引用を終える。古書店で入手した狭山事件関連本などは、このような資料の記載は一切無く、事件の表面をなぞっただけであると、狭山事件公判調書は教えてくれた。内容が深すぎて私は嬉しいのである。                                                                                                        

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