アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 162

(続き) 「二年後に裁判自体の公正でないことや、四つに裂かれた明細書そのものの出所についても多くの疑問が持たれ始め、文豪ゾラをはじめとして、多くの知識人がユダヤ人弾圧の陰謀であるとして非難した。ゾラが〈予は弾劾す〉という公開状を発したのもこの時のことである。ゾラはこのため、逆に誹謗罪に問われ、第一次世界大戦で首相を務めた評論家のクレマンソーがその弁護に当たったりした。フランスの全社会は「ドレフュザール」と「非ドレフュザール」に分かれて論争し、国際的な問題にまで発展しかねない勢いであった。結局は真犯人も発見され、ドレフュスの無実は明らかになったのだが、軍部の圧力で、なおも法廷は〈情状酌量するもなお有罪〉として十年の禁固を言い渡し、これを大統領が特赦し放免するという形をとった(一八九九年九月)。しかし、ドレフュス派はそれで満足せず、全く無実となり復官したのは一九〇六年のことである。この騒ぎの最中にヨーロッパ六ヵ国から選ばれた一流の筆跡鑑定人十一人ともドレフュスの筆跡でないという結論であった。この事は、初め五人の内三人までドレフュスの筆跡であるとした事と併せて考え、鑑定人の立場によってその鑑定結果が左右され易いということを、はっきりと物語っている。このような事情から、フランスでは急速に筆跡鑑定を科学的、客観的なものにする努力が払われるようになり、現在最も筆跡鑑定の進歩している国となった」(続く)

f:id:alcoholicman:20220227153341j:plain

(写真中央に猫が。見事に擬態している)