アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 406

 【公判調書1415丁〜】証人=青木一夫(五十三才)・警察官(証人として出頭時は草加警察署長)

平岡検事(以下検事と表記)=「(昭和三十八年六月二十五日付被告人の司法警察員青木一夫に対する供述調書=記録第七冊第二〇七六丁以下添付の図面第二〇九四丁ないし第二〇九六丁を示す) 第二〇九四丁の図面のが一番はっきりしているが、それに写っている“六月二十五日”という日付と“石川一夫(一雄)”という名前は本人が書いたのと筆跡が違うようですね」

証人=「違うと思います」

検事=「第二〇九五丁のはちょっとずれてはっきり残っているが、それも多少字が違いますね」

証人=「はい」

検事=「だから別の人が書いたことは間違いないですね」

証人=「はい」

検事=「その二枚とも“石川一夫(一雄)”と跡の付いている方に、丸の中に“指印”と書いた跡がありますね」

証人=「はい」

検事=「丸の中に指印としてあるのは、調書原本の本文のところを写す時に、後ろの名前のところを書くのと同じ様な筆法で出来たものと見ていいわけですか」

証人=「はい」

検事=「調書の本文の謄本を作る時には最後のところは名前を書き、原本の指印に相当するところには丸を書いて指印と書くと先程あなたは言ったわけですが、図面の謄本を作る時にも同様に、本人の書いた図面の署名と指印のあるところを表示するには同じ方法でするのですかと今尋ねたのですが、その通りですか」

証人=「そうです」

検事=「第二〇九六丁の図面の右上辺りにたくさん跡が付いているのが見えるが、それは何ですか」

証人=「鉛筆で縦に二行書いてある説明を写した跡だろうと思います」

検事=「(昭和三十八年六月二十一日付被告人の司法警察員青木一夫に対する供述調書=記録第七冊第二〇〇四丁以下添付図面第二〇一二丁を示す) その図面にも署名の下の指印のところに筋の跡がありますね」

証人=「はい。ボールペンの様なものの跡です」

検事=「(昭和三十八年五月二十四日付被告人の司法警察員山下了一に対する供述調書=記録第一九三〇丁以下添付の図面第一九四〇丁を示す) その図面にも右半分の白いところに跡があるようですね」

証人=「はい」

検事=「他にもだいぶ筋の付いている図面があるが、それも同じような趣旨のものだという風に考えられますか」

証人=「第一九四〇丁の図面の右半分にあるのは若干違うのではないかと思います。別のことを書いた折に写ったのではないかと思います」

検事=「別のことを書いたのが写った紙を使って書かせたという事になるわけですか」

証人=「推測ですが、そういう風に考えられます。なお、誰かの参考人調書で図面の付いているのを見せて頂ければ、きっと同じ様な痕跡のあるのがあると思います」(続く)

*検察と警察はどのような関係にあるのか、勉強不足で全くの素人である老生には分からないが、上記の問答を見ると、証人である現職の警察官(草加警察署長)に対する検事の尋問は優しく、決して突っ込んだ尋問はしない。いや、してはならなかったのであろう。あくまでも狭山事件の犯人は石川一雄被告人なのだという一点に彼等は固執、 早々事件に蓋をし、佐野屋での犯人取り逃がしなどに対する国民の批判をかわそうと目論んだと老生は考えるが・・・。

ところで狭山事件においては、殺害された被害者の胃の内容物からトマトが検出されている。被害者の朝食や昼食にそれは含まれておらず、すると下校後から殺害されるまでの間にトマトを食べたことになる。しかし石川一雄被告人による第一審での供述では、殺害現場に連行するまでの間、被害者がトマトを食べた、あるいは食べさせた、などという証言は無い。被害者は下校時から自転車と共に行動しており、仮に石川一雄被告人と出会うまでの間にトマトを食べたと仮定しても、そこで費やされる時間は非常に限られてくる。最後に目撃された西武鉄道のガードから山学校までの距離は近く、自転車と共に移動している中、しかも短時間である。どういったタイミングでトマトを食べることが出来たか。この問題は、むしろ被害者は石川一雄被告人と出会っていないと考えた方が自然である。そもそも事件当日の被害者は、通常の通学路とは正反対の場所=第一ガードに向かい、事実、複数の人に目撃されており、であるならば何故この日、被害者はここへ来たのか、これを解明しなければ事件の真相は分からないままであろう。