狭山の黒い闇に触れる 97
745丁。ここでは石田一義(石田養豚場経営者)の実弟である石田義男が証人として出廷、問うのは中田主任弁護人。石田義男証人により、当人は四人兄弟の末っ子であるということが語られ、当時ジョンソン基地(現:入間基地)へ、豚の餌である残飯を引き取りに往復していた経路や時間帯、養豚場内のドラム缶の数、その位置、スコップの数と配置された場所などについて問答が進む。この後、平岡検事、続いて裁判長によりやはり石田義男証人たちが養豚場からジョンソン基地へ向かう際の往復経路について、詳細な質問がなされるのである。この執拗な問いの背景には何が隠されているのか、私には読みきれない。兄弟二人又は三人が、荷台にドラム缶三本を積んだトヨエースという貨物自動車に乗りジョンソン基地へ残飯を引き取りに行く、その経路と時間帯。尚、証人は、事件の起きた昭和三十八年五月一日、ジョンソン基地で残飯あげを終えたトヨエースは午後六時頃、養豚場へ帰着したと述べ、途中、雨が降ったと付け加えた・・・。