アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 551

【 公判調書1729丁〜】

「被告人の五月一日、二日の行動について」  福地 明人

二(前回より続く)

電車で西武園へ行って朝の九時半頃までそこにおった。それから所沢へ行って「東莫」というパチンコ屋へ入ってパチンコを二時頃までやった。途中、「東莫」の前で弁当を食べた。パチンコ屋を二時頃出て入間川駅へ戻った。駅から八百屋の前を通って、たばこ屋の前まで来て、そこでたばことマッチを買い、小学校の方へ歩いて行った。小学校の辺りで雨が降って来たので、駅の近くの貨物小屋の方へ行って、そこで雨をよけておった。貨物小屋へ着いたのが大体三時半か四時頃である。そこで雨をよけると共に、仕事をすると言って家を出た関係上、余り早く家に帰るわけにはいかないので、そこで時間をつぶすことにした。そして、結局七時頃家に帰った。

これが、五月一日の被告人の行動の経過である。そして、被告人はこの事を単に抽象的に述べているのではなく具体的に述べている。充分信用できる正確な供述であると考えられるのである。

例えば、被告人はたばこ屋では新生を一個とマッチを二つ買った。マッチは一ヶが三円で、二ヶで六円であったので釣りが四円あったがそれは要らないと断ったというのである。また、八百屋の前を通った時、店先に八百屋の息子がいて、被告人に声を掛けたので被告人もこれに答えたということである。更に貨物小屋で雨宿りをしていた四時頃、男女の中学生約十名が先生と一緒に自転車でそこを通りかかったが、その荷台にはむしろがつけてあった。その時の女子中学生の服装は白の半袖シャツに黒いパンツ姿であったというのである。そして最後にもう一つ、その日の五時三分頃、被告人が入間川駅へ時間を見に行ったところ、駅前で石田豚屋のトラックが残飯を積んで戻るのを見かけ、いつもの時間より早いので変だなと思ったというのである。

このような被告人の供述は、まさに被告人自身が実際に体験した具体的事実であって初めて成し得るものであって、思い付きでこのようなことが言えるわけは無い。この被告人の供述の真実性は今後の当審における審理によって更に明らかにされるものと確信するが、すでに調べが終わった証人の証言からだけでも、右供述の信憑性が充分に保証されると考える。すなわち、残飯を積んだ石田豚屋のトラックが五時頃入間川駅の近くを通ったという被告人の供述については、証人石田一義、同石田義男が、通常は五時頃残飯を取りに出発するが、土曜、日曜、祭日等、特別なときにはそれより早く出発して五時頃に戻って来ることがあるということを証言している。また、被告人と同じく石田豚屋で働いて、残飯取りの仕事をやっていた証人東島明は、普通の日でも仕事の都合で早めに残飯を取りに行くことがあったと証言している。

次に被告人が貨物小屋で見かけた男女の中学生の一群については特に注目して頂き度いと思う。

当日、市内の中学校の連合の体育会が行なわれたことは後日の私達の調査によると間違いない。当日、被告人の言うような服装の中学生達が自転車の荷台にむしろをつけて通ったことはその調査の結果明らかであり、会場の一つに当時の東中学校が用いられたことからも、そうした中学生達が貨物小屋の前を通ったことは十分ありうることであり、これら中学生を引率した学校の先生も見つかっている。私達は、本日付の証拠調請求書で二人の学校の先生を証人に申請した。裁判所は直ちにこの証人を採用し、調べて頂きたい。被告人自身は、別に中学校とは何の関係もなく、当日連合の体育会があることは知らなかったのである。また、そのことを知り得る機会もなかった。ただ自分の記憶を辿っていって連合の体育会とは関係なく中学生の集団を憶い出したのである。このことは被告人の供述の信憑性を一段と高いものにする。被告人の供述内容はまことに率直であり作為がない。そして、実際に体験した者でなければ表現できない真実味も備えているのである。また、八百屋の息子金子金三は、被告人とは八年前から知り合いで、パチンコ屋で一緒になったりする仲であること、五月一日に被告人に声をかけたかどうかは忘れたが、自分は通常店先に立って店番をしており、被告人に声をかけることはあり得ると証言しております。

今日、被告人の供述を完全に、また正確に裏付ける証言を得ることは困難であることは言うまでもない。金子金三証人が証言を行なったのは事件後五年四ヶ月後であった。同人が店先で被告人に声をかけたかどうか正確に憶い出せないのは或る程度無理のないところである。一審の裁判所は、私共弁護人が請求したアリバイ証人をも含む公訴事実に関する証拠申請を一切却下した。この予断と偏見に満ちた裁判所の態度こそが、被告人の防禦権を回復出来ないほど大きく破壊していることは、この金子証言ひとつとっても明らかであることを指摘したい。話を元に戻す。

五月一日、被告人は七時頃家に帰ったと供述している。被告人の兄である石川六造さんは当審第十六回公判において、その夜、十時前に出先から帰宅した、そのとき一雄君の布団には人が寝ておった、自分はそれを跨いだ記憶があると証言しております。当時一雄君の部屋には一雄君しか寝ておらなかったというのであるから、結局六造さんが帰宅した十時前頃、すでに被告人は就寝していたことが明らかである。

冒頭に原判決を引用して述べた通り、本件犯行は午後三時五十分から九時五十分頃までの間に行なわれたものである。しかもその間、犯人は本件犯行現場から離れるだけの時間的余裕を持ち得なかったであろうことは原判決自身が認めるところである。従って被告人の当審に於ける供述が一部分でも証明された場合、直ちに被告人の無罪が明らかになるという関係にあるわけである。そして、今までに当審で行なわれた証拠調によって被告人の五月一日の行動が信用するに足るものであることはすでに明らかになっている。私は、被告人は本件犯行と無関係であるということを強調したいのである。

最後に、本件で唯一の目撃証人とされている内田幸吉証人の、犯人が被告人であると断定した証言については、その信憑性を疑わせる様々の事実がある。第一に、証人は、一審公判廷で「五月一日夕刻、自分の家に中田方を訪ねて来た男がいる。そしてその男は、そうです、そうです、この人です(注:1)」と言って被告人を指差して叫んだのであるが、当審では、被告人と前に会ったことはないと言い、検察官の助け船的質問にも、「警察で見た人や原審で見た人は似ているところがあった」としか供述出来なかった。また第二に、同証人は、妻が捜査本部に炊き出しをやって協力していたという事情がありながら、一ヶ月以上に渡ってこの事実を警察に報告しておらず、法廷では報告しなかった理由を尋ねられて「ただやみくもに恐ろしかっただけだ」と繰り返すのみで、何の説明も出来ない、信用性の一欠片もない証言であると言わねばならない。

(次回、"三"へ進む)

(注:1)原文通り引用したカギ括弧内の文章は、そのまま読むと、まるで中田方を訪ねて来た男が「〜そうです、この人です」と発言したかの様な内容に捉えてしまいそうだが、ここを正確に整理すると、"一審法廷内で、内田幸吉証人が被告人を指差し、「そうです、そうです、この人です」と叫んだ"、となろうか。引用した(注:1)文章を、今ここで詳細に分析することはしないが、時たま現れるこの手の表現は、最適解に辿り着くまでえらく時間を要する。