アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 562

【公判調書1808丁〜】

東京高等検察庁検事=平岡俊将の意見

第三、五月一日のアリバイの主張について(続き)

右第二十七回公判の被告人質問に際し検察官が被告人に対し、第三回公判の際述べている馬車新道を通り清水という店や農業会の前を通ってタバコ屋の方へ行く道筋では金子八百屋の前は通らない筈であることを確かめたのに対し、被告人もその経路では右八百屋の前を通らないことを認めているし、また被告人自身、入間川駅付近から小学校の辺の地理はよく知っていること、また第三回公判で述べた馬車新道を通る道筋と、前記検証の際指示した駅前通りの道筋とでは、人通りは検証時に通った道筋の方が多いことも認めながら、当審当初の第三回公判陳述で五月一日の行動についての道筋を間違えて述べた理由は判らないと言っている。そして、入間川駅前から馬車新道を通り、長根肥料店を営む清水甲子二郎宅の前や入間川農業協同組合の前を通り、狭山茶屋の所に出て、金子八百屋の前を通らず八幡通りに通じている道路のあることは、入間川の地理上、公知の事実である。

右のような陳述や主張の経緯等を吟味すると、被告人が当審の当初において本件事実を否認し自己の五月一日におけるアリバイを主張するについて、入間川駅付近や小学校の方などの地理をよく知っており、自己の行動を主張する重要な経路を陳述するのに、人通りの少ない馬車新道からの経路を特に通った理由まで具体的に説明して述べているのに、その後約一年近く経過してその陳述は間違いであるとし、前に述べた馬車新道よりも人通りの多い駅前通りを通ったのが事実であると変更し、しかも当審検証に立会い金子金造方八百屋の前を通りながら何らこれない(注:1)にもかかわらず、さらにその後二年余経過して改めて、右八百屋である金子金造に出会った事実があるとの主張をするに至るなど、被告人の主張や陳述には多くの矛盾や不自然さがあり、その記憶によるという陳述の正確性について信を措くことができないものがある。はたして当審第二十七回公判における証人金子金造の証言によっても右被告人主張の事実は明らかでないばかりでなくむしろ否定的な証言となっていることが認められる。また五月一日午後五時頃入間川駅で、石田豚屋の残飯運搬の帰り車を見たとの陳述についても当審第十五回公判(四十一年四月十四日)における証人石田義男、同第二十七回公判における証人須藤晃の各証言によっても五月一日午後五時頃石田方の右自動車が入間川駅に帰って来たであろうという蓋然性は証明されず、むしろ否定的な結論になっておるのである。

なお、その他の主張などについても今後意見陳述の機会があると考えるが、差し当り、以上第一ないし第三に挙げたような当審における被告人の主張、陳述には多くの矛盾や不自然さ、あるいは客観的事実との間の混乱等が見られて信を措き難いものがあるので、弁護人の事実取調請求についてもその決定並びに証拠調に当りこれらのことを十分吟味してなされるべきであると考える。

(注:1)「何らこれない」ここの文章はどう解釈すればいいのか。

*以上が東京高等検察庁検事=平岡俊将の意見・第一〜第三である。引き続き"第四"が待っているのだが、ここで一旦弁護人らによる「第七回検証調書」を引用する。平岡俊将検事の意見"第四"とは、この「第七回検証調書」に対する返答であるからだ。