アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 550

【公判調書1727丁〜】

「被告人の五月一日、二日の行動について」   福地明人

一、最初にこの問題に対する原判決の認定に簡単に触れたい。

原判決の認定が予断と偏見に満ちた不当な判決であること、物証と自白が結びつかないこと、虚偽の自白を基礎にするものであること、様々な矛盾をはらみ、解明されない多くの問題を抱えながら強引に有罪の断定を下している誤った判決であること、それらのことを一、二審を通じて私達は主張してきた。そして先程の石田弁護人の弁論を含めて、今回の中間弁論でそのことを私達は更に詳細に述べて来たわけである。ここで改めて私は原判決に対する批判は繰り返さないけれども、一点だけ指摘したいと思う。それは五月一日の犯人の行動のことである。

原判決は次のように認定している。

(1)被告人は五月一日午後三時五十分頃、被害者の善枝さんに出会い、これを通称「四本杉」まで連行し、姦淫したうえ殺害し、

(2)夕刻死体を芋穴に吊し、七時三十分頃中田栄作方へ脅迫状を届け、再び芋穴に引返し、同夜九時頃死体を芋穴から引出して農道に埋めた。

犯行開始時刻が三時五十分頃で終了が九時頃である。もっとも死体を埋め始めたのが九時頃なのか埋め終わったのが九時頃なのか判決はあいまいである。いずれにしても六時間足らずであることは、別のところで判決ははっきり言っている。ついでに附け加えるが、検察官の冒頭陳述によれば、犯行開始時刻は午後四時であるとされているのに、判決はこれを十分も早めて三時五十分であると言っている。十分早くなった理由については何も説明がされていない。更に、芋穴に吊したのは夕刻であると判決は言っているが「夕刻」とは一体いつ頃を言うのか、全くいい加減であいまいである。いずれにしても、犯行時間は判決によれば六時間足らずということである。これから計算すると犯行終了時刻は九時五十分より以前であったということになる。つまり、三時五十分から九時五十分頃まで六時間足らずということになる。

ところで、判決を読めば解るとおり本件犯行は殺してさっさと逃げたというような単純なものではなく、被害者を連行し縛り、縛ったのをほどき強姦し、殺害し、脅迫状を書直し縄を盗みに行ってまた縛り、芋穴に吊し、奪ったものを隠し、書直した脅迫状を被害者宅に届け、スコップを盗み、それで穴を掘り、死体を埋めるという、まことに複雑なものである。

地理的にも相当広範囲な舞台で行なわれているし、関係する場所も非常に多い。これを六時間足らずでやるわけである。原判決はこう言っている。「これ等の行動をわずか六時間足らずの間に、しかも暗くて雨が降っている状況でやり遂げた犯人の行動は極めて活発であったと考えられる」と言うのである。まことにその通りで、犯人はさぞかし忙しかったであろうと思う。無駄な時間はなかったであろうと推察される。

二、以上のことを頭に置いて貰って、次に本題に入る。被告人は昭和三十八年五月一日(事件の日であるが)午後三時五十分から九時五十分までの間、本事件の現場とは全く無関係な場所にいた。被告人は犯人ではないのである。

被告人は、一審の裁判では警察官に欺されて犯行を認めていた。従って真実はすべて、この二審になって初めて供述している。第三回、第二十六回、第二十七回公判で、被告人は次のように五月一日の行動を説明した。

五月一日は、朝七時半頃弁当を持って仕事に行くと言って家を出た。しかし本当は仕事に行くのではなく、ブラブラ時間を潰すつもりだった。補足するが、一雄君には時々こういうことがあったようである。検察官に対する供述調書のなかに、仕事をさぼりたい時は、前の日から明日は仕事に行くということを家族に宣言しておかないと、兄さんから突然仕事を押し付けられることがある、だから予防線を張っておいて、時には競輪に行ったこともある、ということを述べているのである。そういうわけで、五月一日も仕事をさぼって西武園へ遊びに行ったわけである。(続く)

*思いのほか長文なので続きは次回へ。

犯人の行動は極めて活発・・・。犯行に要した時間が六時間、雨が降る夜という状況の中、真犯人は強姦、殺害、脅迫状、穴掘り、遺体埋没、佐野屋での逃走まで、尋常ではないエネルギーの使い方である・・・。だがこの発想は単独犯であれば、という前提であり、複数人による犯行であれば役割の分担によってその労力は分散され、ひ弱な者でも事件は遂行出来たであろうと老生は推論する。佐野屋での身代金受け渡し時、茶垣の影には二人の姿があり、その潜んでいた茶垣の枝には刃物で付けられたと見られる痕があり、犯人逃走直後においては何者かが不老川方面と川越方面に走り去ったという判断に基づき捜査がなされ、何よりも被告人逮捕直後、警察は仲間は誰か、使用した車は誰の所有かと詰問していたという情報はどこへ消えたのか。