アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 98

754丁。尋ねるのは宇津弁護人。証人として出廷したのは水村正一。水村証人は石川被告宅の近所に住み、野球仲間である石川被告とは友人関係にある植木職人である。水村証人によると、石川被告とは頻繁に野球やキャッチボールを行う仲であり、事件前日の昭和三十八年四月三十日、入間川小学校運動場で被告人らと野球を行い、事件後の五月十九日、被告人と狭山丘駅近くのグランドに野球見物に行った事実などが語られる。五月十九日の野球見物については、その入場券が石川被告宅でとっている新聞屋から招待券二枚が配られ、それを使用し入場したと、非常に詳細に述べる。宇津弁護人は、より深く問いをかけ、五月十九日から二、三日前、やはり石川被告と水村証人が自宅脇でキャッチボールを行っていた際、堀兼で養豚業を営む石田一義が訪ねてきた事実を引き出す。石田と石川被告は二、三分で会話を終え、石田は近くの実家へ帰ったという。水村証人には二人の会話は聞き取れず、石川被告と水村証人は再びキャッチボールを始める。ここで、石田一義が訪ねてきた理由であるが、堀兼の養豚場にはすでに警察の捜査員が訪れ、その中で犯人の血液型がB型であることを石田は知り、事件当日の行動と血液型の確認をしに石川被告宅に現れたのであり、石田としては元従業員である石川被告を心配し行なった行為だとのちに法廷で述べる。さて、宇津弁護人はその時期、石川被告の態度に変化があったか水村証人に問うが、それはまったく見られず、明るく、冗談も言い、喧嘩もないと、水村証人は述べた。宇津弁護人から中田弁護人にかわり問答は続く。ここでは、事件の被害者が農道から遺体で発見された五月四日について証言があり、水村証人、石川被告、更に友人一人、計三人が川で魚釣りをしていたところ、多数の人々が農道がある方角に向かっており、聞くと遺体が出たと言われ、三人で見物に行ったと述べる。私は一旦、公判調書を閉じた。当時石川被告がとっていた行動は非常に日常的な、ごく普通のありふれたものである。これから犯罪を起こす、又は犯罪を終えた者がとれる行動ではない。法廷では井波判事より、五月十日頃、新聞やテレビでの報道により石川被告が事件に関係があるという評判を聞いたか、の問いに対し水村証人は否定し、石川被告が逮捕されるまでそのような評判は知らなかったと述べ、尋問を終えた。                               

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( 無実の獄 25年 狭山事件写真集:部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部編:解放出版社より引用)