アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 55

第二審第1分冊、三二一丁。法廷において石川被告の弁護人が証人、関巡査に問う。内容は昭和三十八年六月二十三日午後、川越警察署分室においての取り調べの模様。ここでまず、私自身が混乱せぬよう整理するが、昭和三十八年の事柄を昭和四十年に尋問及び供述した記録が第二審である。第一審は前年、昭和三十九年三月に死刑判決が下されている。私は頭が悪い上、酒に酔いながらここに記述するという無礼を行なっている。したがって理路整然とした明快な表現技術に欠け前記の如く、度々記述内容を整理せねばなるまい。それでは話を進めようか。取り調べが一旦中断し部屋には石川被告と関巡査の二人きりが残った。そこで石川被告はおれがやったと前置きし「○○ちゃん(被害者名)いかっていた(埋めてあった状態)のはどういうふうになったんだべ」と関巡査に話す。つまりどういう具合に死体が埋められていたのかを関巡査に尋ねるのだ。さらに「それがわかればよくわかるんだがな」とも関巡査に話すのであった。直後に捜査員が部屋に戻りこの会話は終わるのだが、石川被告から尋ねられた関巡査はこの会話に疑問を抱かなかったのか。法廷で関巡査はこのことを弁護人に質問され「俺も(埋めてあった状態)見ないんでわからないんだよと言った」と述べ 「あるいは思い出せないというような状態じゃないか」とも述べる。私はこの方がかなり鈍感であり会話が噛み合わない人物と感じているが、そんな関巡査から見ても「まあ首をひねるというか、考えるというような状況だったです」と石川被告の状態を観察する目は持っており、なれば、むしろ「君が埋めたのに何故それを聞くか」と反問しなかったことが、私には惜しまれるのである。少年野球などを通し親しい間柄であった両者であったが、ならば「本当に君が犯人なのか」という姿勢が関巡査に生まれなかったか。あるいは警察組織としての立場を優先させたのか。尚、上記の石川被告が関巡査に尋ねた件を私はこう解釈する。あらぬ罪を被ることに決めた石川被告は嘘の自白に向かうが、そこには確固たる信憑性が必要であり、その基礎として被害者の埋没状態の情報を仕入れ、役立てようとして先の発言につながったのではなかろうか。と。        

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(思えば、事件の晩も月が出ていたと何かで読んだがするとこの384.400km彼方に輝く彼だけが真実を知っているのだろうか)