アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の闇に触れる 13

小雨の中、畑の隅に老婆がうずくまり一心不乱に鎌を研いでいた。刺激せぬよう、私はそっと後ろを通り過ぎる。が、かすかに老婆の独り言が聞こえた。「南無阿弥陀  南無阿弥陀 南無・・・」・・・。そんな光景に出くわしながら自転車で狭山市青柳付近を通る。久保川の流れはゆったりと穏やかだ。堀兼へ向かう。   
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私の原点とも言える権現橋に到着する。この直前に、路地にミニパトが潜伏しており、車内の警官2名に注視されたが、私が注視し返すと彼らは目をそらした。勝ったぞと拳を握りつつ権現橋の造りなどを怪しくチェックする。ここから、やっと前回の続きになるのだ

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狭山事件での、裁判上における被害者の第一発見者と、「伊吹」本に登場する「我こそは第一発見者なり」との矛盾する事象に突き当たり私は困った。なぜ困ったかと言えば「伊吹」本の団員が語る内容や、それにまとわりつく真実味といおうか、本物感というか表現に苦しむが、それが裁判で証言した狭山消防団第二分団第一部の部長の証言を上回るからである。ここで整理しておこう。問題は被害者のカバンが遺体埋没現場近くの茶垣の根元に置いてあった事。遺体埋没場所の第一発見者が裁判上の人物ではない事。以上2つである。ここで私が付け加えたいのは、「伊吹」本に登場した消防団員の証言が確認できた時点で、このような事案は速やかに狭山事件弁護団に連絡し判断を委ねるよう行動すべきであったという事だ。私は今、本を閉じながら「無念」の二文字を噛み締めている。