【公判調書1615丁〜】
三つの「証拠物」 宇津泰親
〈 鞄 〉
五、『さらに右の点を裏付ける二つの事実を指摘しなければならない。
一つは関源三の泥まみれの点である。彼は何故か、この泥まみれになって取調室に戻ったことを否認している。被告人とはこの点で明らかに食違っている。しかし当審第三十一回公判において、立会警官であり、例の筆圧痕問題で証人として喚問された遠藤三は、うっかり「石川君が鞄だったか何かを捨てた場所を図面に書き、それを関部長が持って捜索に行ったところが、関部長は泥まみれになって“無い”と言って帰って来た」と問わず語りをしてしまったではないか。この一言は、被告人の供述の真実をはっきりと裏打ちしている。
二つには、関は、途中で電話連絡をしたことも否認して、この点でも被告人のいうところと食違いを見せていたが、当審第七回公判では青木一夫が、はっきり「関が帰る前に、鞄が無かったことは連絡があった」と証言している。ここでも被告人の供述は真実を獲得している。
要するにここで言えることは、鞄が被告人の自供に基づいて捜索発見されたというのは全く警察の作った偽装工作の所産であり、それに沿った六月二十日、二十一日の各自供調書は、警察のねつ造物であるということである。
以上の指摘に加えて、鞄と本を埋めたという場所に関する供述に見られる疑惑がある。ここで控訴趣意書の当該部分を参照すれば、その問題は明らかであるから再論しないことにする』
*以上で “〈 鞄 〉一から五” の引用を終える。次回、〈 時計 〉の引用に入る。
○ここに一冊の本がある。数年前に古本屋で購入した、狭山事件に関する書籍だ。機会があるごとに狭山事件の関連本を入手してきたが、この事件の、公判調書そのものに接触してしまうと、この手の書籍に顕著な、著者の主観に満ちた狭山事件関連本は敬遠しがちになる。どこの馬の骨か、牛の皮か知れぬ者の、狭山事件の推理など、読むだけ無駄である。しかし、この「検証・狭山事件」なる本はある意味で興味深い。それは、著者の、狭山事件に対する興味が湧き過ぎた末、著者本人が現地に赴き、関係者等に取材を敢行しているからである。労力に対する対価の無視は潔く、老生も見習わねばならない。とは言え、やはりこの著者も例に漏れず、巻末において自己の推理を披露している。これがなければかなりドキュメントよりの、例えば佐木隆三の著作に近い評価が与えられると思うのだが。
さて、「検証・狭山事件」(213頁〜)記載の文章を見てみよう。これを載せる理由はやがて分かっていただけると思う。文体は簡略化した。
『当時、狭山消防団第三分団所属、被害者遺体の第一発見者=沢村(仮名)に対する著者による問答』
問=「最初に確認させて頂きたいのですが、被害者の遺体を発見されたのは沢村さん、ということでよろしいんですか?」
答=「そう、私の方で見つけてるね・・・・・・。その時は機動隊員と二人一組になって捜索やったんだけど、それで渡辺って隊員と一緒に発見したんだよ」
問=「裁判では大橋伸一郎(仮名)という方が第一発見者になっているんですが、あれは違うんですか?」
答=「ああ、あれはね、別の分団で隊長やってた人」
問 =「そうなんですか・・・。では、大橋さんが直接見つけたわけではないと・・・。」
答=「そうだね。最初に見つけたのは我々だったから」
問=「あと、当時の週刊誌を見ると、沢村さんが “善枝さんの持ち物を見つけた ”って出ているものもあるんですが、あれはどうなんでしょうか?」
答=「ああ、カバンか・・・」
問=「やはりカバンがあったんですか?」
答=「でもあれ・・・場所が違うんだよな」
問=「え?・・・どういうことなんですか?」
答=「置いてあったの」
問=「・・・・・・え?」
答=「あの死体発見現場の横には茶垣が一列になってあったでしょう・・・・・・?カバンはその根元に置いてあったんだよね」
問=「その話は初めて聞きました。そうだったんですか・・・。これまでの報道とは全然違いますね。でも、茶垣の下ってことは、何か隠すような感じで置かれてあったんですか?」
答=「いや、違うね。普通に置かれてあった。通り(農道)からすぐ見えたからね」
問=「沢村さんはその時、カバンの中身はご覧になったんですか?」
答=「いや、それは見なかった。我々(消防団員)だけだったら見たんだろうけど、警察の人が一緒だったからね」
問=「でも、これは確実に善枝さんのものだろう、と」
答=「そう。学生の使うようなものだったから、“ こりゃあ、間違いない ”ってことになって。それで “(死体が) 埋まってんのはこのあたりなんじゃないか ”って思って見回したら、それらしいところがあるじゃない。新しい土が出てて、軟らかくなっているようなさ・・・。だから二人で “掘ってみよう” ってことになった。それで、確か近くに農作業やってた人がいたんで、その人に農具を借りたんだな」
問=「当時の報道記録を見ると “おかめ(草かき)を借りた ”って出てきますよね」
答=「そう。それを借りて、しばらく掘った。そしたら荒縄が出てきて・・・・・・。それで、それを引っ張ったら(死体の)手が出てきたもんだから、もう、ビックリしてね」
問=「その後はどうなさったんですか?」
答=「現場保存のために、一回埋め戻した。それから他の人たちを呼んだね」
問=「カバンはどうなったんですか?」
答=「機動隊の人に渡した。だから、そっちで持ってったと思うよ」
問=「でも、カバンはその後、一か月半も経ってから捕まった石川さんの自白に基づいて、全然違う場所から発見されているわけですよね。そのニュースを聞いた時は不思議に思いませんでしたか?」
答=「・・・・・・不思議に思ったねぇ・・・・・・」
問=「沢村さんは、事件が起きたとき、誰が犯人だと思いましたか?」
答=「あの頃、堀兼の方に養豚場があったんだけど、そこの連中が怪しいと思ったね」
問=「同じようなことをおっしゃってる方はかなり多いようなんですけど、あの養豚場の評判はそんなにも悪かったんですか?」
答=「かなり悪かった。あそこは日頃から、悪さするような連中ばかりが集まってたところだったから」(以下略)
○さらに後日、著者による二回目の問答が行なわれており、ここでも興味深い話が聞ける。
問=「ところで、捜索は何日から始めて何日まで続けたのでしょうか?」
答=「私の方は死体が見つかった日(五月四日)だけだった。前の日に知らされてさ・・・・・・それで翌朝集合、ってことになったんだ」
問=「その時はもう、事件のことはご存知じでしたか?」
答=「最初に知ったのがいつだったのかはもう覚えてないなあ・・・。ただ、三日になったらかなりの騒ぎにはなってたよね。あと、その前の日(二日)にさ、権現橋とかあの周辺で検問やってたんだ。警察官が “名前と、これからどこへ行くのかを教えなさい” なんて言ってきてさ。でも、あとで考えてみると佐野屋の張込みやったのはあの日の晩だったんだよな・・・・・・」
問=「もう一度確認させて頂きたいのですが、カバンはどこにあったのでしょうか?」
答=「もう、はっきり覚えていないところもあるんだけど・・・・・・前回は何て言ったっけ?」
問=「前の時は “茶の木の根元に置いてあった” というお話だったんですが・・・・・・」
答=「うーん・・・・・・それ、もしかしたら穴の中だったかもしれないな」
問=「やっぱり、芋穴ですか?」
答=「そうだったかもしれない。でも、ありゃ今考えてもやっぱりカバンだったな・・・・・・。自分たちは、死体の埋まっている跡に気づかないでいっぺんその上を通り過ぎちゃってるんだ。もしそれがなかったら、後戻りしようなんて気が起きるはずないし・・・・・・。風呂敷とか棒なんか見たって何とも思わないだろうしさ」
問=「裁判で “第一発見者”になっている大橋(仮名)さんって、その時現場にはいたんですか?」
答=「いない。あの大橋って人は、分団も違うしね。その時現場にはいなかった」
問=「それなのに、どうしてあの方が発見者になってしまったんでしょうか?」
答=「なんであんなことを言い出したのか・・・・・・ちょっとこっちでは分からないなあ・・・。裁判にあの人が呼ばれたのも知ってるんだけどさ・・・・・・。だから、その時は消防団の中でも “何であの人が(裁判で)話すんだ” って言ってるのがいたんだよ」
問=「やはり、それは警察に頼まれた、ってことだったんでしょうか?」
答=「その辺も何があったのか・・・・・・分からないなあ・・・・・・。とにかく、こっちは(死体を)見つけた時に警察に事情聞かれただけで、裁判に出てくれって話は全然来なかったよ」(以下略。引用元=『検証・狭山事件 女子高校生誘拐殺人の現場と証言 伊吹隼人 社会評論社』)
○これらの話は裁判記録に登場せず、したがって引用した上記の問答をすべて鵜呑みにすることは出来ない。せいぜい、事件推理の足しになる程度である。そこでその推理という角度から引用文を読むと、これは “足し” どころか、鞄発見のされ方から、それが誰に渡ったのか、さらにその先の展開、つまりこれまでに弁論人が主張している被害品の発見経過における矛盾・不合理へとつながるのだ。