【公判調書1355丁】公判調書、1355丁に進むと「第三十回公判調書(手続)」とあり、その四ページ後の1359丁に「第三十回公判調書(供述)」なる記録が載っている。「手続」と「供述」を見比べると、「供述」の記録内容の方が目を引く。これはやはり法廷に出廷した証人による証言が裁判の行方に影響を与えるので、老生としては当然の反応であろうと考えるが、従って、例えば世に出回る狭山事件関連本には「供述」は載っても「手続」などは無駄に頁数を浪費するだけと排除されるのである。そこで、狭山事件を扱う書籍などでは排除されるであろう情報をここに載せておこう。
三十回公判調書(手続)
被告人 一夫こと石川一雄
被告事件 強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂、
窃盗、森林窃盗、傷害、暴行、横領。
公判をした年月日 昭和四十三年十一月十四日
裁判長判事 久永正勝
判事 津田正良
判事 四ッ谷巌
裁判所書記官 飯塚 樹
検事 平岡俊将、木村 治
出頭した被告人 石川一雄
出頭した弁護人 (主任)中田直人
石田 享
橋本紀徳
宇津泰親
植木敬夫
証拠関係 別紙証拠関係目録記載のとおり
公判期日の変更 裁判長 職権により、昭和四十三年十一月十九日午前十時の公判期日を同日午前十時三十分に、同月二十一日午前十時の公判期日を同日午前十時三十分にそれぞれ変更する旨の決定告知。
指定告知した公判期日 昭和四十三年十一月二十六日午後三時三十分
昭和四十三年十一月十九日
*ふぅ〜っ。 裁判記録にはこのような肩苦しい記述が頻発するのである。老生のような低い能力では我慢出来ずに先へ進み、刺激的な文面のみを求め、結果、浅い解釈に終始する癖があったが、この狭山事件公判調書はその老生の悪癖を治療してくれた。混み入った内容がひしめく頁をめくるたび、その文面を刮目する癖がついたのである。うむ、これで良いのだ。ところでこのブログの主軸となる「狭山事件公判調書第二審」は熊谷県立図書館に所蔵されている事が判明した。老生が複写し、引用している調書は狭山市立中央図書館所蔵の資料である。両者を比較すれば落丁問題なども解決する見込みである。
話は変わり、写真は、狭山事件再審弁護団、解放同盟、その他支援団体による再現実験の模様である。石川一雄被告人の自白によれば、被害者を殺害後、遺体を芋穴に逆さ吊りにしたと供述、これが現実的に可能かどうかがこの実験の目的である。
実験の結果「逆さ吊りはあり得ない」との結論が出される。被害者と同じ五十四キログラムの人形や、生きた人間を死体役に見立て実験が行われた。この、死体を上げ下げするという作業には大変な腕力を必要とし、また足首には百キロ以上の力が加わり、遺体の足首に巻かれていた細引き紐は食い込み、痕跡が鮮明に残る事が判明。ところが被害者の遺体の足首にその痕跡は無く、当時遺体を解剖した五十嵐警察医でさえ逆さ吊りはあり得ないと証言している。
逆さ吊りの実験を生きた人間で行なったところ、足首には紐の食い込んだ跡や皮のむけた痕跡がはげしく残った。この問題では、芋穴の中に被害者の血液反応が無いことや、長時間の逆さ吊りによる鬱血が見られないなど、逆さ吊り自体が存在しないと考えるのが合理的であろう。写真は全て「無実の獄 25年・狭山事件写真集・部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部編・解放出版社」より転載。