アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 9

指定された「さのヤ」。酒類雑貨商「佐野屋」の店主は公判第一審において、自身の店について「自動車の看板でも見なければわからないと思います」と述べている。当時の写真資料を見たが、堀兼の片隅で、こじんまりと店を開き、前を通る道は砂利道であった。当時の狭山市内に酒類雑貨商が何軒存在したか分からないが、被害者宅に近い佐野屋が身代金受け渡し場所に指定された事実は非常に興味深い。なぜ、佐野屋か。

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当時の佐野屋(狭山差別裁判第3版 部落解放同盟中央本部編より)。店頭前の車輌は360ccであろうか。     

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1980年代半ばの佐野屋(無実の獄25年 狭山事件写真集  部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部編より)     私は佐野屋が現存していた頃、一度だけ「お〜い  お茶」を買い店頭でイッキ飲みしたことがある。ひと味違った旨さを感じた。さて本題に戻るが、元々は「少時」に宛てた脅迫状であったが、何らかの問題が生じ「中田家」へと標的を変更、と同時に取引き場所も変更、結果、身代金は奪えず、だが逃走は成功した。ここへの現れ方と去り方がポイントだ。つまり警察の捜査員というプロですら想定外の方角からの登場と、現金持参人との10分弱に及ぶ駆け引き後、そのプロである40数名の猛者を振り切って闇の彼方へ消え去った犯人だが、冷静に考えると、この犯人は堀兼に居住していたからこそ、逃げ切りが可能になったのではないか。実は、狭山事件以前、この周辺には警察官による職質を受けた人物が居住しているのだ・・・。あぁしかし、こういった事をこういう場に記していくと必ずや例の、歓迎せざる勢力の刺客が私の元へ現れるであろう。この、よからぬ勢力の実態もいずれ白日の下に晒したいのだが・・・。