アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 8

昭和38年5月2日深夜 埼玉県狭山市堀兼の酒屋近く。 数メートル先に身代金を持った人間が来ているにもかかわらず、犯人は金に手を出さず逃げた。この点は犯罪者としてプロである。類似事件を調べると、大半が金に手をかけたところを押さえられている。金か、牢獄に堕ちるか、切羽詰まった状況の中で犯人には即断即決が求められた。ここに現れた犯人は、直前に強姦殺人及び死体遺棄を行い、更にその被害者宅に自転車と脅迫状を届け終えており、並々ならぬ極悪犯罪人としてのパワーを放出している。だが、この佐野屋での身代金取引きにおいては、それまでの暴力の爆走に一瞬、ブレーキがかかり、かなり慎重に間合いを計っている。犯人が脅迫状で指定した現金持参人の背後や、周辺の暗闇から漂う危険な空気を感じたのか、素人であれば既に現金奪取に動いたであろうが、この犯人は現金持参人と約10分の問答直後、闇夜の畑を走り抜け、隠れていた捜査員40数名の追跡を物ともせず逃げ切ってしまう。粗暴にして慎重。悪の才能を存分に発揮したこの犯人はいったい何者であったのか。                           

f:id:alcoholicman:20210925025604j:plain                                                  (画像は、神田古書街で一千万円くらいの値が付きそうな、私直筆の狭山事件秘密地図) さて、私は気分転換に他の事件関連現場へ出かけた。行き先は宮崎勤事件関連現場である。私のアジトから入間川沿いルートを使い、愛車である覆面自転車を走らせる。この事件は、解決はしたものの宮崎勤という人間の分析は未解決に終わったと私は解釈しており、今後も起こるであろう子どもに対する犯罪予防の観点から、宮崎勤を徹底解剖、分析し、その予兆や日頃の行動パターン、周囲へのシグナル、監視手段などを導き出し、更にこれに対抗する策を考えるなど、まだまだ生かしておく余地はあったと考えられる。もうこれ以上役に立たない、ボロ雑巾のような存在になった時こそが執行の日とすればよかったのだ。でなければ被害者の子どもちが浮かばれないではないか。と、割と真剣に考えながら覆面自転車を漕いでいたところ、川沿いの茂みから威圧的な視線を感じた。ついに現れたか、ある勢力の刺客が・・・。明らかに殺気を放ち、威嚇してくる。

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鋭い眼で私を威圧する刺客。圧力は半端ではない。    

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ウウッ、貫禄あるなぁ。この刺客のおかげで私はUターン、やや尿もれしつつ家路についた。