アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる

狭山事件において、犯人取り逃がし後に警察犬による捜索が行われたが、茶畑の先にある不老川に突き当たった所で臭跡が途絶え追跡不可となる。この臭跡が途絶えた場所から下流側に権現橋がかかっており、さらに橋を越え数十メートル先に養豚場があった。この養豚場は事件後、警察により徹底捜索される。臭跡が途絶えた場所から上流側、権現橋とは逆の方角に当時Aという男が存在した。Aは事件前、素行不良で警察官の調べを受けていた。狭山事件公判調書では弁護人がこの警察官に対し、Aをどの程度調べたか証言させるのであるが、私の感覚では非常に甘い調べであり、上記の証言もやや曖昧に終わってしまうのだ。さらに言えば養豚場の三男は自身のアリバイについて、女友達と船橋で会っていたと、これで終わりなのだ。さて、実際に現地に立ってみると、身代金受け渡し未遂から犯人取り逃がしまでの範囲と関係者の所在地を重ねて見た時、佐野屋(今は無い)、N家そして養豚場と、非常にコンパクトなエリアで発生したという印象を受ける。そしてその印象はここに現れた犯人が確実に地元の人間であろうと強く確信させる要素となる。であるならば、地元の素行不良者Aをなぜ徹底して調べなかったのか、むしろ厳格な取調べの結果がシロと判断されていれば、後世、私ごときの駄文に取り上げられることもなかったであろう。事件直後に自殺したOとて同じである。禍根を残す警察の捜査と、それを放置し進んだ裁判は、その始まりから既に「後でモメる」種を内包していたのだ。