不意に、電信柱の裏から現れたこの幟を見て、私は緊張感に包まれた。この類いの幟や看板は、寂しげな通学路や公園などでよく見られ、そこを通行する人びと(あえて言えば、女性、子供、高齢者)に対する注意喚起を目的に設置されたと思われる。
不審者に注意?「不審者」の「不審」とは、〈「審」=はっきりしている様子を表す言葉であり、「不審」とは、はっきりしていない、疑わしいという意味の単語〉と定義されている。つまり疑わしい人間、であるが、不審者か否か、を何によって判断するのか、その基準とは何だろう。何かの理由があり疑わしいと判断する以上、これを明確にせねばなるまい。私は路肩に転がる一斗缶に腰掛け煙草に火をつけた。あんぐりと口を開け、煙りの輪をいくつも吐きだすと、効きだしたニコチンで両眼の焦点がずれてくる。煙りの行方を見送りながら、時折通過する車を眺めていたが、車内の家族連れが私を指差す姿が見えた。それはまさに「私に注意」していたのであった。