アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 944

 

                      「第五十六回公判調書(供述)」

証人=遠藤  三(かつ)・七十歳

                                            *

裁判長=「控訴審で証人として出られたのはいつ頃か覚えていますか」

証人=「四、五年前だと思います」

裁判長=「何年何月頃という記憶は」

証人=「ありません」

裁判長=「春、夏秋冬は」

証人=「それもないです」

裁判長=「前に調べられた時に述べたことは、大体どんなことを聞かれ、どう答えたか覚えていますか」

証人=「はっきりしたことは覚えていませんが、いわゆる図面の関係を聞かれたと思います」

裁判長=「そのとき自分が述べたことは、記憶のまま、何事も隠さず何事も付け加えないで正直に述べたと思っていますか、それとも後で考えてみて、あそこは言い違いであった、記憶違いであったと思い当たることはありませんか」

証人=「ありません」

裁判長=「良心に従って自分の思いのままを述べたということですね」

証人=「そうです」

裁判長=「当時、六十七才で警察官を辞めてたんですね」

証人=「はい」

裁判長=「あなたの、警察官としての経歴を概略述べて下さい」

証人=「大正十二年十月、埼玉県の巡査を拝命し、以来浦和の警察勤務です。昭和五年頃まで浦和にいたと思います。その時は派出所勤務から駐在勤務です。昭和五年以降は捜査係になって秩父の警察です。それから引き続きずっとやっておりまして、昭和二十一年、加須警察署騎西巡査部長派出所勤務で一年から一年半ぐらいいました。それから加須の本署へ戻って二十二年から二十三年頃に久喜警察へ行き、二十六年頃、春日部警察です。久喜と春日部ではやはり捜査係です。それから三十年頃、大宮警察署で捜査係、三十三年か四年かはっきり覚えていませんが県本部捜査一課へ行きました。三十九年三月までそこにいて退職しました。最後の身分は警部です」

裁判長=「三十八年の五月頃この事件が起こって、捜査に一部関与しましたね。その時分は、何でしたか」

証人=「警部補です」

                                            *

福地弁護人=「証人は、いわゆる狭山事件の捜査に関係した最初はいつですか」

証人=「三十八年の五月二日頃からです。はっきりしたことは記憶ありません」

福地弁護人=「五月二日頃にどういう捜査に関係致しましたか」

証人=「張込みです」

福地弁護人=「五月二日夜の張込みにあなたは従事したのですね」

証人=「はい」

福地弁護人=「張込んだ場所はどこでしょうか」

証人=「佐野屋のうち(家)から、あそこは何て言うんでしょう、狭山市の出張所か何かございますが、その方へ約三百メートルぐらい、大体その地点じゃないかと思います」

福地弁護人=「五月二日夜の張込みは誰に命ぜられたんですか」

証人=「もちろん上司には違いございませんけれども、誰という記憶はございません」

福地弁護人=「命ぜられたのは何時頃ですか」

証人=「夜になってからだと思いますが」

福地弁護人=「命ぜられた場所は」

証人=「場所は狭山警察署ですな」

福地弁護人=「命ぜられた場所は狭山警察ですか」

証人=「と記憶してます」

福地弁護人=「あなたが張込みを始めたのは、何時頃ですか」

証人=「九時か十時じゃないかと思いますが、その点記憶ございません」

福地弁護人=「あなたが張込んでいた場所には、あなたのほかに誰かいましたか」

証人=「もう一人いましたが、名前の記憶はございません。二人で張込みましたから」

福地弁護人=「どこの警察の警察官ですか」

証人=「狭山の警察の者じゃないかと思いますが」

福地弁護人=「顔を見れば今でも思い出しますか」

証人=「顔を見ても分かりませんですね」

福地弁護人=「その時会ったのが初めてですか」

証人=「初めてです」

福地弁護人=「五月二日の夜、佐野屋付近に何人ぐらい張込んでいたか、知っていますか」

証人=「何人張込んでおったという記憶はございません」

福地弁護人=「張込みにあたって、打合せはしませんでしたか」

証人=「打合せというより、上司の命で張込んだのですから、特別にこれと言った打合せというものはございませんでした。私どもは結局上司の命令で張込んだという格好になります」

福地弁護人=「すると、あなたが張込んだ場所へはどうやって行ったんですか。上司に命ぜられて、場所を特定されて行ったわけですか」

証人=「さようでございます」

福地弁護人=「お前、あそこへ行けと」

証人=「さようでございます」

福地弁護人=「他の所に誰かいるか分からなかったですか」

証人=「他の所に誰がいたか分かりません」

(続く)

                                            *

写真は事件当時の佐野屋付近。

こちらは佐野屋より数メートル入曾側に寄った地点の写真。

酒類雑貨商・佐野屋

狭山の黒い闇に触れる 943

【公判調書2968丁〜】

                     「第五十六回公判調書(供述)

証人=市村美智子(旧姓 石川)

                                            *

山上弁護人=「美智子さんのお父さんは、こわいか、厳格というか、子供にしつけがやかましいか」

証人=「はい、やかましいほうです」

山上弁護人=「当時お兄さんの一雄くんは、これも覚えていないならいいですが、五月一日の前後、どういう所へ働きに行っておったか、知ってますか」

証人=「いえ、覚えていません」

山上弁護人=「お父さんは、六造さんにしても一雄さんにしてもだけど、仕事をさぼってなまけることに対して、非常に厳格なんですか」

証人=「ええ」

山上弁護人=「それで怒るのを見たことある」

証人=「ええ、あります」

山上弁護人=「頭からどやしつけるわけ」

証人=「そうです」

山上弁護人=「すると一雄あんちゃんもやられとったわけだな」

証人=「はい」

山上弁護人=「仕事をさぼると」

証人=「はい」

山上弁護人=「それから、今の"りぼんちゃん"だけど、これは"りぼんちゃん"という本の名前があるのですか、そうじゃないように調べがなっているから確かめるが」

証人=「『りぼん』となっているんです」

山上弁護人=「『りぼん』という本の名前」

証人=「そうです」

山上弁護人=「本の中に、りぼんというテーマで何かあるというんじゃないですか」

証人=「ええ、違います」

山上弁護人=「お兄さんは、仕事に行く時は大抵お弁当か何か持って行くんですか」

証人=「はい、持って行きます」

山上弁護人=「どういうのを」

証人=「アルミの普通のものです」

                                            *

佐々木(哲蔵)弁護人=「あなたの話ですと、五月一日の六時から七時頃にお兄さんが帰ったことになるね、大体」

証人=「はい」

佐々木(哲蔵)弁護人=「あまり濡れてなかったということですが、あなたのご記憶で、何か特別に泥んこになって帰って来たと、そういうことだと特に印象に残ると思うが、その一日、あるいは二日の晩帰って来た時に、泥んこになって帰って来たという記憶はありますか」

証人=「記憶ありません」

佐々木(哲蔵)弁護人=「それから、一日は大体十時頃寝たように思うと、二日も大体同じ頃寝たように思うということですが、十時頃寝たとかいうことは時間の点について、よりどころがあるのですか」

証人=「お父さんが十時過ぎるとうるさいから、いつも十時頃みんな寝ます」

佐々木(哲蔵)弁護人=「テレビをやめるのですか、十時頃」

証人=「はい、そうです」

佐々木(哲蔵)弁護人=「お父さんがうるさいんで、それがよりどころで十時頃ということですか」

証人=「はい」

                                            *

石田弁護人=「当時、昭和三十八年五月一日頃、一雄くんの履物は、普通どんなものを履いていたか覚えがありますか」

証人=「はっきり記憶ありません」

石田弁護人=「長靴をよく履いていたかどうか。その辺の覚えはどうですか」

証人=「長靴はよく使用するようです」

石田弁護人=「あなたが使われていたノートですね、四、五枚破られていたかどうかという質問がさっきありましたけれども、四、五枚に限らず、その頃破られていたことがありましたか」

証人=「なかったと思います」

石田弁護人=「お兄さんの一雄くんが警察に逮捕されたことをご存じですね」

証人=「はい」

石田弁護人=「その前でもあとでも結構ですが、警察官があなたに事情を聞きに来たことがございませんか。さっきは警察とか検察庁で調べられたかという問いに、調べられていないと言っていましたが、お宅へ、あるいは学校でもいいんだけど、聞きに来たことはありませんか。お巡りさんか、誰か、何か雑誌のことでもノートのことでも、あるいは一雄くんどうしていたかということでもいいんですけどね、あなたが尋ねられたことはありませんか」

証人=「一度、派出所みたいな所に行って調べられました」

石田弁護人=「それは一雄くんが警察に逮捕されてからですか」

証人=「はい、そうです」

石田弁護人=「その時、どんなことを聞かれたか覚えていますか。警察に」

証人=「はっきり覚えていません」

石田弁護人=「細かいあれでなくてもいいんですが、もし思い出したら、こんな点について聞かれたとか、こんな風な形でもし思い出せれば思い出して下さい」

証人=「・・・・・・・・・・・・」

石田弁護人=「思い出せませんか」

証人=「一日の夜のことを・・・・・・」

石田弁護人=「そのほかは聞かれたかどうか」

証人=「ノートのこととか、そのくらいです」

                                            *

昭和四十七年二月九日          東京高等裁判所第四刑事部

                                                裁判所速記官  佐藤治子

                                            *

○佐々木(哲蔵)弁護人の質問にある「(石川被告が)五月一日、二日の晩、泥んこになって帰宅したか」という問の趣旨は、下記を見れば理解できよう。

狭山事件再審弁護団は石川被告の自白を再現した実験を行なっている。その中、写真二点は死体を埋める作業の様子であるが、再現実験の日は雨でなかったにも関わらず、実験終了後、作業者を演じた人物の衣服は泥にまみれていた。

狭山の黒い闇に触れる 942

【公判調書2966丁〜】

                    「第五十六回公判調書(供述)」

証人=市村美智子(旧姓 石川)

                                            *

福地弁護人=「次に、当時あなたが使っていたノートについてお尋ねします。当時中学二年生だったと言いましたね」

証人=「はい」

福地弁護人=「どういうノートを使っていましたか」

証人=「大学ノートと普通の小さいノートです」

福地弁護人=「普通の小さいノートというのは、大学ノートよりも小さいやつですね」

証人=「はい、そうです」

福地弁護人=「四月から五月のことを聞いているんですが、当時、大体何冊ぐらい持っていたと思いますか」

証人=「大学ノートが五冊ぐらいで、普通の小さいのが三冊から四冊ぐらいだと思います」

福地弁護人=「それは、いずれもあなたの、学校で勉強に使うノートだったのでしょうか、それとも何か他の用に使うノートだったでしょうか」

証人=「いえ、学校のに使うんだったです」

福地弁護人=「そのノートは、いつもはどこにありましたか」

証人=「仏壇の下の戸棚にありました」

福地弁護人=「中に」

証人=「はい」

福地弁護人=「全部そこにあったんですか」

証人=「はい、そうです」

福地弁護人=「すると学校へは持って行ってなかったのですか」

証人=「いえ、持って行って、他に科目以外のものは置いてあります」

福地弁護人=「その日、学校で使うやつは学校へ持って行くわけですね」

証人=「はい、そうです」

福地弁護人=「そうでないやつは、仏壇の下の戸棚の中に置いてあったわけですか」

証人=「はい」

福地弁護人=「そのノートの中に四、五枚、破り取られているノートがありましたか、ありませんでしたか。これもその当時ですよ、四月から五月ぐらいのことを考えてみて下さい」

証人=「なかったと思います」

福地弁護人=「そういうことには覚えがないのですね」

証人=「はい」

福地弁護人=「次にこれも当時のことですが、あなたは少女雑誌で『りぼん』という雑誌を読んだことがありますか」

証人=「はい、あります」

福地弁護人=「それは、あなたが買ってきたものですか、それとも誰かに借りたものなんですか」

証人=「友だちに借りたものです」

福地弁護人=「これは、難しい質問かも知れませんが、この事件が起こったのは五月一日、二日だと言われていますけれども、四月の末、事件が起こった二、三日前と考えていいんですが、その頃にあなたのところに『りぼん』という雑誌があったか無かったか、もし思い出したら言って下さい、分からなければ結構ですが」

証人=「覚えていません」

福地弁護人=「『りぼん』という雑誌を当時読んだような記憶はあるんですね」

証人=「はい」

福地弁護人=「友だちから借りたものですね、それは」

証人=「はい」

福地弁護人=「『りぼん』という雑誌のほかに、当時あなたは、何か雑誌を読んでいましたか」

証人=「なかよし」

福地弁護人=「それも友だちから借りたのでしょうか、自分で買ったのでしょうか」

証人=「借りたんです」

福地弁護人=「友だちから借りた雑誌というのは、大体新しい雑誌のほうが多いのでしょうか、たとえば今は二月ですが、出たばかりだと二月号、三月号が出てると思いますが、そういう新しい雑誌を友だちから借りてたんでしょうか」

証人=「そんな新しくないと思います」

福地弁護人=「一年も二年も前の雑誌という記憶もありますか」

証人=「そんなことはないです」

福地弁護人=「つまり出たばかりの新本というか、新刊とか、そういう雑誌ではないという記憶ですか」

証人=「はい」

(続く)                                            

 

狭山の黒い闇に触れる 941

【公判調書2961丁〜】

                    「第五十六回公判調書(手続)」

    いつ=昭和四十七年二月八日。

どこで=東京高等裁判所

だれが=裁判長判事:井波七郎

                          判事:足立勝義

                          判事:丸山喜左エ門

           裁判所書記官:飯塚  樹

                          検事:山梨一郎

       出頭した弁護人:橋本紀徳、石田亨、宇津泰親、

                                     青木英五郎、宮沢洋夫、福地明人

                                     山上益郎、稲村五男、三上孝孜、

                                     城口順二、佐々木哲蔵、

                                     佐々木静子、内藤徹、藤田一良、

                                     松本健男

          出頭した証人:市村美智子(旧姓石川)

                                     遠藤  三

                                     諏訪部正司

    なにを=証拠関係      別紙証拠関係目録記載の通り

どうした=裁判長は証人諏訪部正司に対し、次回公判期日昭和四十七年二月十日午前十時に当法廷に出頭することを命じた。

昭和四十七年三月六日         東京高等裁判所第四刑事部

                                                      裁判所書記官  飯塚  樹

                                            *

                              証拠関係目録は略す

                                            *

【公判調書2963丁〜】

                    「第五十六回公判調書(供述)」

証人=市村美智子(旧姓 石川)

                                            *

裁判長=「三十八年以後、警察や検察庁で調べられたことはありませんか」

証人=「ありません」

裁判長=「結婚なさったのはいつですか」

証人=「四十六年五月です」

                                            *

福地弁護人=「この事件が起きた当時、美智子さんはいくつでしたか」

証人=「十四です」

福地弁護人=「学校は」

証人=「中学二年です」

福地弁護人=「中田善枝さんが誘拐されたのは、五月一日だと言われていますけれども、五月一日の日にあなたは学校へ行きましたか」

証人=「はい、行きました」

福地弁護人=「学校へ行くのは、大体何時ごろでしょうか」

証人=「七時半ごろです」

福地弁護人=「あなたが学校へ行く時にお兄さんの一雄さんはもう家を出ておりましたか、それともまだ家におりましたか」

証人=「はっきり覚えてません」

福地弁護人=「五月一日の日、あなたは、学校から何時ごろ帰って来たか、思い出してほしいんですが」

証人=「五時か五時半ごろだと思います」

福地弁護人=「お兄さんの一雄さんは、大体何時ごろ、その日帰って来たような記憶でしょうか」

証人=「私より一時間か一時間半遅れて帰って来たと思います」

福地弁護人=「五月一日の午後、雨が降りましたね」

証人=「はい」

福地弁護人=「覚えていますか」

証人=「はい」

福地弁護人=「あなたはこの日、傘を持って行きましたか」

証人=「いいえ持って行きません」

福地弁護人=「雨の中を帰って来たわけですか」

証人=「はい」

福地弁護人=「あなたの中学校は、何中学ですか」

証人=「東中学です」

福地弁護人=「お兄さんの一雄さんが帰ったのは、あなたが帰ったあと一時間か、一時間半経ったあとだとすると、お兄さんも雨にあったんでしょうか」

証人=「そうです」

福地弁護人=「お兄さんが濡れていたような記憶ありますか」

証人=「濡れているという、そんなに降られなかったと思います」

福地弁護人=「そんなに濡れてなかったと」

証人=「ええ」

福地弁護人=「びしょびしょに濡れて帰って来たという記憶じゃないんですか」

証人=「はい」

福地弁護人=「少し、濡れてたという程度ですか」

証人=「はい、そうです」

福地弁護人=「身体全体が濡れてましたか」

証人=「いえ濡れてません、裾が少しはねが上がったような、そのぐらいの程度よごれてました」

福地弁護人=「すると、ズボンのほうが濡れてた」

証人=「はい」

福地弁護人=「五月一日のことを続いて聞きますが、あなたが、五時か五時半ごろ帰って、お兄さんがその後一時間か一時間半ぐらい経って帰って来てその夜、お兄さんと一緒でしたか」

証人=「はい、一緒にテレビ見てました」

福地弁護人=「何時ごろ寝ましたか」

証人=「十時ごろだと思います」

福地弁護人=「あなたが寝たのが十時ということですね」

証人=「皆同じぐらいに」

福地弁護人=「一雄くんも十時ごろ寝たという記憶ですね」

証人=「はい」

福地弁護人=「その次の日、五月二日のことを、これから聞きますけれども、五月二日の夜あなたは、お兄さんの一雄さんと一緒に過ごしましたか」

証人=「はい」

福地弁護人=「大体夜は、あなたはどうやって過ごしているんですか。たとえば勉強してるとか、テレビを見てるとか、本を読んでるとか、いろいろあると思うんですが」

証人=「普通テレビを見てます」

福地弁護人=「テレビを見てる部屋というのは、どこの部屋ですか」

証人=「玄関入ってすぐの四畳半です」

福地弁護人=「雨にあった五月一日、その次の日の五月二日の夜は、何時に寝た記憶ですか」

証人=「いつもと同じくらいです」

福地弁護人=「お兄さんの一雄くんはどうでしょうか」

証人=「同じくらいだと思います」

福地弁護人=「ということは大体十時には寝てると」

証人=「はい」

福地弁護人=「当時のあなたの家には、出入り口は何ヵ所ありましたか」

証人=「二ヵ所です」

福地弁護人=「一つは玄関ですね」

証人=「はい」

福地弁護人=「もう一つは」

証人=「お風呂場の所です」

福地弁護人=「夜、そういう所の戸締りは誰がやるんでしょうか」

証人=「最終的には、お父さんが」

福地弁護人=「あなたの家では、当時戸締りは厳重にやるほうでしたか、それとも、時には戸締りをいい加減に、忘れたりするような、そういう状況だったんでしょうか」

証人=「いえ、厳重にやるほうです」

福地弁護人=「当時、玄関はガラス戸でしたか、それとも雨戸でしたか」

証人=「ガラス戸です」

福地弁護人=「風呂場の入り口は、どうだったでしょうか」

証人=「ガラス戸です」

福地弁護人=「少しゆっくり思い出してほしいんですが、当時その玄関のガラス戸と風呂場のガラス戸は、開けたり閉めたりする時に、すうっとスムーズに開いていたのでしょうか、それとも開け閉めは、かなりガタガタ音がしていた状況だったでしょうか」

証人=「ガタガタするほうです」

福地弁護人=「それは両方ともですか」

証人=「両方です」

(続く)

 

狭山の黒い闇に触れる 940

 

(2024年4月13日入間川で撮影。ああ、とても素晴らしい光景だ)

【公判調書2958丁〜】

                       「第五十五回公判調書(供述)」

証人=小島朝政(五十六歳・財団法人埼玉県交通安全協会事務局長)

                                            *

宮沢弁護人=「あなたは捜査本部で、先ほど将田警視からいろいろ下命を受けて仕事をしたということですが、あなたの上司というか、捜査関係で上司になるのは将田警視なのですか」

証人=「そうですね、まあ直接はそうなりましょうね」

宮沢弁護人=「すると、捜査本部の捜査における会議には、あなたは、意見をはさんだりしていたのでしょう」

証人=「ええ、やっておりました」

宮沢弁護人=「本来詰めている所は捜査本部へ詰めて、そこで下命を受けて動くと、そういうことだったんですね」

証人=「そうです」

宮沢弁護人=「すると、捜査の大体の進展の状況は、あなたは分かっておったんじゃないですか」

証人=「進展の状況ですか」

宮沢弁護人=「常に今どういう風になっているか分かっておったんじゃないですか」

証人=「いや、どんな話が出たか、初めの過程を知らない者が、途中でぽつり話を聞いても分からないんですよ。三回四回聞いて、これはこういう筋から出てきた捜査だなということが分かるわけです」

宮沢弁護人=「五月一日に事件が発生したと、あなたは、それからすぐ四十五日で行っているわけでしょう(原文ママ)」

証人=「はい」

宮沢弁護人=「それからずっと捜査本部にいるとすれば、あなたは捜査一課の現職の警察官なんで、そのくらいのことは分かっていたんじゃないですか」

証人=「ですから、現場も知らない、被害者の家も知らない者が聞いたって分かるはずはないです。ですから、数日間はフリーで、方々現場を見たりなんかして十日頃でしょうね」

宮沢弁護人=「あなたは、書類をご覧になっているということですが、大体捜査本部にいてその十日間ぐらいは、いろんな上がってきた報告書とか調書とか、そういうものをご覧になっていたわけですね」

証人=「いや、十日は見ないですよ、ですからたとえば今先生が仰ったように、六日に奥富玄二さんが亡くなったとすれば、その頃行ったとして、それから数日間は現場を見たりなんかした、こういうことになりますね。その後私が来たんで、捜査員の編成変えをした時に本格的に一つの部署をもらって捜査をやるということになったんで、それまでは、私は実際は実のある仕事は何もしなかったわけです」

宮沢弁護人=「捜査のやり方として、現地の第一線の捜査に行ってる警察官は、必ず捜査報告書を出すという方式はとられてたんでしょう」

証人=「必ずということですが、それは後日記録にしておく必要があるということ、あるいは、後日でなくても捜査員の見たこと聞いたことは直接、刑事部長なり上級幹部が覚えておかなければならないという問題について書類にするんであって、それは捜査の行なわれた形でありまして、全部が全部、これを記録にしておいたら、大変なものになりますから」

宮沢弁護人=「あなたは時計の捜査をされたというんですが、その際、あなたの部下に十名近い人がおられたというご証言ですが、その人たちは時計の捜査について、それぞれ捜査報告書をあげてるんではないですか」

証人=「ありますかどうかね、その辺のところはちょっと今記憶がありませんですが」

宮沢弁護人=「見た覚えないですか」

証人=「ありましょうかね、ちょっと・・・・・・」

宮沢弁護人=「ここへ出たあなたの部下の警察官は全部あげているということを言ってるんですが」

証人=「それでは多分あるでしょう」

宮沢弁護人=「あなたは、五月の初めの頃は、特に仕事がなかったというんですが、田中登という男が死んだということは聞いておりませんか」

証人=「田中登・・・・・・・・・」

宮沢弁護人=「ええ」

証人=「ただ田中登と言われてもちょっと思い出せませんが」

宮沢弁護人=「要するにこの犯人を目撃したという風に言われている人なんですが」

証人=「田中登ね、・・・・・・ちょっと今記憶がございませんですが」

宮沢弁護人=「これは、五月の十二日に亡くなっているんですが」

証人=「そうですか、ちょっと記憶がございません」

宮沢弁護人=「それに関連してもう一つ聞きますが、この人は捜査本部でもって、捜査本部の取調べを受けていたということをあなたは聞いておりませんか」

証人=「そう聞いておりませんです。何かヒントでもあれば、あるいは思い出すかも分からないけれども、ただ田中登が見た、その人が亡くなったというのは、ちょっと今思い出せませんです」

                                                                (以上  佐藤治子)

昭和四十六年十二月六日      東京高等裁判所第四刑事部

                   裁判所速記官  沢田伶子  佐藤房未  佐藤治子

                                            *

○引用文中にある宮沢証人の発問の中で、五月一日に事件が発生し、証人がそれからすぐ四十五日で行っているわけだろう、という趣旨の問があるが、この"四十五日で行っている"という意味が老生には分からない。この部分は一体何を指しているのか、一応、念のため記憶に留めておこう。

                                            *

ところで宮沢弁護人の尋問に田中 登という名が見受けられるが、この人物に関する情報は次のとおり。

狭山市柏原新田で農業を営んでいた田中氏は昭和三十八年五月一日、つまり狭山事件が発生した日と同日に、石供養(先祖の墓をたてた供養)のため同市内の堀兼の親戚を訪れていた。夕方、用事を済ませた田中氏は自転車で自宅へ向かうのだが、この時通った道は「やげん坂」という道路であった。ここを通過中、腹具合が悪かった田中氏は便意をもよおし付近の山林の奥へ向かった。用を足し終え立ち上がったところ、二、三人の男が近くを通り過ぎるのを目撃した(一説では近くにジープが止めてあったとも)。

数日後、新聞、テレビ等による大々的な事件の報道を見、田中氏は一日の夕方に堀兼の山林で目撃した男たちを思い出し、念のためこの情報を警察へ知らせることにした。なお、この通報をするという判断に至る過程で、田中氏の妻や兄は「万が一、何でもなかった場合はむしろ大変なことになる」と忠告するも、彼はそれを振り切り、懸命に犯人捜査へと努める警察への協力になればと、堀兼に設けられた特別捜査本部に向かった。

意に反し、日にちは定かではないが(裁判上、この時の田中氏に関する事情聴取等の証拠類は一切確認されていない)、堀兼の特別捜査本部から帰宅した田中氏は、何故か恐怖と屈辱に満ちた風体となっており、さらに翌日、再度警察からの呼び出しを受け自転車で向かうも、事情聴取後、田中氏は病人さながらに自転車のペダルすら漕げず警察車両に乗せられ帰宅した。

「警察は怖いところだ」「自分は犯人ではない」「自分は何もしてないのに責められた」衰弱し切った田中氏は家人にそう告げ寝込んだという。

五月十一日午後八時過ぎ、家族との夕食後、田中氏は自宅居間で鳥さき包丁で心臓を刺し自殺を遂げる。

                                            *

以上が、私が知り得る田中 登氏の情報である。

五月一日のやげん坂(=薬研坂・注:1)での不審者目撃から、後日警察への通報を経て五月十一日に自殺を遂げるまでの間、彼が何を感じ、何を考えていたかを知りたいが、もはやそれは不可能であり残念この上ない。

結局、彼は自殺として処理されているようであるが、その原因、過程を見た場合、上述の通り、やげん坂(薬研坂)での不審者目撃、及びその通報が起因となっており、またしてもと言ったら語弊があるが、彼は本事件発生とそれに伴う捜査当局の高圧的対応によって命を散らせるに至ったと考えられ、では特別捜査本部では彼に対しどういった対応を取ったかと、やはり、またしてもここに黒い闇が漂うことを感じ、老生は一杯やりつつ途方に暮れた

(注:1)狭山市薬研坂薬研坂の薬研とは、漢方薬を作るとき、薬種などを粉に砕く器具のことで、V字形にくぼんでいることから薬研堀ともいわれ、坂道がV字形に掘られていたことから、この名がついたといわれる。

 

狭山の黒い闇に触れる 939

(事件発生当時の狭山市堀兼・佐野屋付近の写真)

【公判調書2956丁〜】

                       「第五十五回公判調書(供述)」

証人=小島朝政(五十六歳・財団法人埼玉県交通安全協会事務局長)

                                            *

宮沢弁護人=「もう一度確認しますが、あなたが狭山の現地へ行かれたのはいつからですか」

証人=「五月の六、七日頃ですかね、かれこれ一週間近く経つ頃なんですがね」

宮沢弁護人=「五月の六、七日頃ですね」

証人=「そんなように記憶してます」

宮沢弁護人=「その行った場所はどこに行かれたんですか」

証人=「最初に行った場所ですか、それはもちろん捜査本部に行きました」

宮沢弁護人=「そうすると、そこでは誰の指揮下に入ったわけですか」

証人=「当時、報道陣がもう、たくさんおりまして、捜査員より報道陣が多いぐらいで、ざわめいておりました」

宮沢弁護人=「誰の指揮下に入ったかということです」

証人=「ですから、それが前提なんですが、それで刑事部長に、まあ、向こうの事件を決まりつけてきたからと報告しようと思っても会えないんです。それで、一日経ってその翌日、帰って来たというので話しましたら、まあ、現場でも見てということで、特命がなかったわけです。それで数日過ぎたわけですね」

宮沢弁護人=「そうすると、特に、誰の指揮下に入るということはなかったわけですね」

証人=「ええ、初めのうちはね」

宮沢弁護人=「そうすると、そのあなたが先ほどご証言されたこの手拭いですね、手拭いの捜査を始めたのはいつ頃からですか」

証人=「これはですね、八日頃じゃないですかね」

宮沢弁護人=「そうすると、六日に行って、八日というと二日目」

証人=「八日から、いずれにしても十日くらいになりましょうかね」

宮沢弁護人=「それまでは何もしなかったんでしょうか」

証人=「それまでは現場を見て、死体現場を見てですね、それからその辺の地形だとか、被害者の家と現場のつながりの道を覚えたり、家屋や周囲の状況を見たりしたんですがね。それから記録を見たり」

宮沢弁護人=「そうすると、あなたが一番、捜査本部へ行って、最初にやられたことは何なんですか」

証人=「あの事件では現場を見て、早く皆んなが先に行って知っているこの事件の内容を知ろうということが一番先ですね」

宮沢弁護人=「あなたは五月六日か七日、そうすると、早くとも六日ということですね」

証人=「その辺は今、日を言われてもはっきりしないんですがね。まあ、いずれにしても数日経って行ったということを記憶してますね」

宮沢弁護人=「あなたは先ほどのご証言で、奥富玄二の死体を見に行ったと、こういう風に仰いましたね」

証人=「ええ。それは相当、まだ行って、早い頃だったですね。幾日だったでしょうか、早い頃だったですね」

宮沢弁護人=「行ってから幾日経ってからですか」

証人=「これは本当に早い頃だったと思います。そんな関係でちょこっと思い出したという話が出たわけです」

宮沢弁護人=「行って、すぐ行かれたんじゃないですか」

証人=「その点は、まだ、本当に私の仕事が始まっておらない頃だったでしょうね」

宮沢弁護人=「そこのところですね、私が最初に聞いているのは、最初に行って何をしたかという、そのことの関連で、奥富玄二の死体を見に行ったのはどのくらいかというところをお聞きしたいわけなんですが」

証人=「ちょっと、日は覚えていないんですが分かりませんです」

宮沢弁護人=「そうすると、最初に行ったその日ですか、それとも、それから二、三日経ってからですか」

証人=「ですから、その日にはですね、それが記憶がどっちが先だったか、とにかく、あの頃はまともな仕事をしてなかったんですから」

                                                                   (以上 佐藤房未)

                                            *

(佐藤房未とは速記録者の氏名であるが、この後、宮沢弁護人の尋問は内容もそのままに続行されてゆくのだが、なぜこの時点で速記録者の名が記入されているのか。休憩がその理由であろうか)

                                            *

宮沢弁護人=「そこのところをちょっと私聞いているんですが、あなたは捜査官で狭山の現地の本部へ行って、最初にどういうことをやったか覚えているでしょう」

証人=「私の今申し上げられるのは、早い頃だったということ、それから私が、あまり本格的にこの仕事を始めてない頃だったということは記憶があるということだけでございます」

宮沢弁護人=「奥富玄二氏が自殺したのは五月六日になっていますね」

証人=「ああ、そうですか」

宮沢弁護人=「どうですか」

証人=「六日なら六日で仕方がないでしょう」

宮沢弁護人=「あなたが奥富玄二の死体を見に行く前に、何かやったことがあるんですか」

証人=「その頃私は行ったばかりで仕事がなかった頃ですから、先ほど申し上げた、現場を見たり被害者のうちを見たり、その前後した頃ですから、今記憶がないです」

宮沢弁護人=「あなたは、法医的なことを多少研究されてるということですね、そういうご証言じゃなかったですか」

証人=「はい」

宮沢弁護人=「それで具体的に死体にあたってみたわけですか」

証人=「いや、これは見ましたが、これはやはりはっきり言って、縄張り現場というか、肩書を付けた鑑識官がおるものを、私が半年やそこら行ってわずかな解剖や死体所見を聞いたくらいで、すぐさま私が自分で話せるものでもないし、しますから私はちょっと見て帰ったことを記憶してると、こういうことでございます」

宮沢弁護人=「先ほど、自転車で行かれたということですが、自転車で自分だけで帰って来られたんですか」

証人=「そうです」

宮沢弁護人=「一人帰って来たんですか」

証人=「一人で帰って来ました。私は当時は何もしていませんでした」

(続く)

写真はいずれも事件発生当時の狭山市堀兼付近。

 

 

狭山の黒い闇に触れる 938

【公判調書2954丁〜】

                      「第五十五回公判調書(供述)」

証人=小島朝政(五十六歳・財団法人埼玉県交通安全協会事務局長)

                                            *

山上弁護人=「あそこら辺で部落という名前を使いますか」

証人=「部落という名前は聞きません」

山上弁護人=「そうすると、今、初めて部落という言葉が出てきたんですか」

証人=「いやいや、そうじゃなくて、これはまあ、露骨な話になって僭越ですが、私は捜査の途中でですね、菅原町という言葉を聞いたんです。菅原町、あれは入間川何丁目とかいうんですか、というのをそういう風に捜査員の誰かさんに聞いて、菅原町という話を耳にした程度です」

山上弁護人=「そうすると、菅原町が何を意味するということを知ったのは、いつ知ったんですか。初めですか」

証人=「それは手拭いの捜査が相当進展してきた頃だと思いますね」

山上弁護人=「あなたは石川君があれだけ嘘をついたと言うんだけれども、五月二十三日逮捕されてからずうっと捜査の進展は知っておったことになりますか」

証人=「いや、全部は知りません」

山上弁護人=「じゃ、どうして、嘘を言うたって知っているんですか、あれだけ嘘を言うたと。よう、言葉が出るな」

証人=「いや、全部は知りません」

山上弁護人=「そうすると、タッチしたのは十三日以後、あなたの今、証言に出たのは手拭いだとか、時計、万年筆、それから『りぼんちゃん』ですか、雑誌ですか、そういう度々じゃなくて、あなたの職責上、五月二十三日以降、密接に捜査の情報に接しうる地位におったのですか、どうですか」

証人=「捜査会議にもちろん、私も出ますから、捜査会議に出た部面(注:1)については、他の者が上司に報告するのを耳にしておったんで」

山上弁護人=「その席上、これは中刑事部長の証言にもありますが、部落民に対する見込み捜査かどうかは別にして、そういう方面に誤解があるといけないから気を付けて捜査しなさいという訓示がありましたか。これは証言にありますから思い起こしていただきたい」

証人=「私は極端にその言葉を覚えてません、今」

山上弁護人=「極端に覚えてなかったら、少しは覚えておる」

証人=「そう言われればということですね」

山上弁護人=「そう言われれば」

証人=「そう言われれば、そんなことがあったかも知れないという程度ですね」

山上弁護人=「石田豚屋関係で、豚屋に出入りしていると推定される人ですね、そういう人を調べたことがあるか、あるいは、調べた捜査員から何か報告を受けられたことがありますか」

証人=「ございません」

                                            *

山梨検事=「先ほど、山上弁護士から、自供に基づいて出たものがあるかという質問にあなたがタッチしたものは、時計、万年筆と答えられたんだが、もう一つあるんじゃないですか」

証人=「自供に基づいて・・・・・・」

山梨検事=「自供に基づいてというと、ちょっと語弊があるかも知れないが、要するに、結局は本人の言うことで品物が出てきたというものは」

証人=「時計、万年筆、地下足袋、あれは自供じゃないな、はてな

山梨検事=「第一回の押収捜索はどういう令状で行ったんですか」

証人=「これはですね、恐喝に殺人未遂か誘拐か、たくさんついてましたがね」

山梨検事=「たくさんというのは、窃盗」

証人=「ええ、窃盗もありましたね。ああ、そう言えばですね、下命された中で、窃盗の作業衣があったのを捜索に行って、見つからないで帰って来て、後で出たのを記憶してますね」

山梨検事=「これは五月二十三日の一回目の捜索の目的の中に、自動車修理用作業衣というのがあって、それも捜すつもりだったが、見つからなかったと」

証人=「はい」

山梨検事=「それで」

証人=「それでですね、杜撰な捜査だということで叱られましてね、その被疑者が自供して、そうして作業衣が出たということですね」

山梨検事=「で、結局、作業衣はどこにあったんですか」

証人=「作業衣は奥のベビー箪笥かどうか、そのときに、奥の箪笥か、葛籠(つずら)か、そういうものにあったんじゃないかと思いますが。家屋の東北の四畳半隅にそんな箪笥か葛籠か箱のようなもの、そんな風に思ってますが、どうも古くなりましたんで」

山梨検事=「そうすると、そこに、ベビー箪笥に入っているかということは被告人が説明したわけですか」

証人=「でしょうね」

山梨検事=「それはあなたは知らないんですか」

証人=「私は知らないんです」

山梨検事=「あなたは見つからないという報告をしたんですね」

証人=「はい」

山梨検事=「そうすると、そのあとで」

証人=「そのあとで指示を受けてですね。私は全然調べのほうはノータッチだったんで分からないんです。ですから、もう、物がここにあると言われても、本当に機械的に捜索をし、押収をしたということだけに過ぎないんです」

山梨検事=「まあ、万年筆が二回目の時に捜し出せなかったと同様、一回目の時にも作業衣を捜し出せなかったということがあったということになるわけですか」

証人=「そうです。それで強く叱られまして、ですがまあ、私自身、もう捜索というのは、そう簡単に見つからないんだということはまあ、多くの経験で思ったんで別に、いずれにしても当時の刑事部長から、こんな大きい物が見つからないでどうするんだということで、強く叱られたのを今もって記憶してます」

(注:1)『部面(ぶめん)』物事のある部分の面。局面。

                                            *

山梨検事は、一回目では見つけ出せなかった作業衣が二回目の捜索で見つかったことと、万年筆が三回目の捜索で発見されたことを同列に並べ、捜索ではそう簡単に対象物が見つかるわけでもないという趣旨の発言をし、証人もこれに同調した形の証言を返す。しかし捜索が複数回に及んだという共通点のみを比較し、捜索は簡単なことではないと論ずるのは何か腑に落ちないと私は感ずる。この部分をよく読み込むと、まず作業衣が二回目の捜索で発見されたという事実を提示しつつ、その上で、であるならば万年筆の発見に三回もの捜索が行なわれたことは何ら不自然なことではないでしょうと、暗に示す意図を含んだ発言であることがわかる。また、こういう部分が裁判官らには警察は捜査に尽くしたとの好印象を与えていることも考えられ、したがって万年筆の不可思議な出方という疑惑はかき消され、石川被告に対する有罪判決へとその判断は向かっていったのではなかろうか。

(写真は作業衣が発見されたと思われる被告宅の箪笥)