アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1451 獄中生活⑤

「続・さらばわが友」第二部 狭山事件石川一雄の獄中生活より引用。本書第二部の文章は昭和五十二年末ごろより書かれたものと思われる。

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                     「規則」にがんじがらめ(318頁)

    石川は、五工場で靴の甲皮作業に従事しているので、規定上三等食であるが、それを四等食にするとなると軽作業と同じとなって、規定違反である。刑務所当局は、規定以下の少量の飯を支給して、万が一にも後々問題になっては困ると考えたのかも知れない。役人の考えそうなことだ。石川本人の申し出ではあるが、規定違反は出来ないところが、法規でがんじがらめになっている刑務所のむずかしいところであり、且つばかばかしいところである。

    五工の部長はさっそく石川を呼んだ。石川は、「わたし自身が少ない飯でよい、というのだから、それでいいではないか」と常識論を主張するのだが、部長は、「規定を曲げるわけにはいかない」と法律論をもって相対した。お互いの論理の基盤が違うので、噛み合うわけはなく議論は平行線であった。

    部長と、一受刑者との意見の相違の場合、刑務所内では必ず受刑者が負ける「規則」になっている。石川の飯は、それから約二週間ののちに再びもとの大きな三等食に変更され、毎食毎食残飯を出さねばならぬ羽目になった。迷惑千万なことであったろう。石川本人としては、多分どうしても納得がいかなかったものと思う。誰でも刑務所に初めてやって来たころ、「どうしてこんなばかばかしいことを・・・・・・」と思う矛盾だらけである。社会で美徳とされることが、刑務所内では悪徳であり、規律違反で罰せられることしばしばである。たとえば食事の際に、自分が食べきれない分を食卓の向かい側の者にやるとする。また二級者集会で出た菓子を、目の前の椅子に座っている者に「食べきれないのであげるよ」とやると、厳格な看守がそれを見た場合、「物品授受」の罪名で取り調べられ、「そんな馬鹿なことが・・・」とそれに口答えすれば、抗弁として懲罰房にほうり込まれる。

    人に物を進呈するシャバの美徳は、刑務所の中では悪徳に変わる。社会での常識は、刑務所の中では通用しないのである。それには理由がある。品物を与えて恩義を売り、後々男色の相手にしようとか、何かの悪巧みの手下にしようとか、いろいろの「悪」を事前に防止するために、刑務所の中ではちょっと常識では考えられないような規則が網の目のように張りめぐらされてある。

    石川も最初のうちは、不思議に思い抵抗を感じたのであろう。よく上司の役人に会って話し合いたいと、面接願箋を提出した。石川と野球でバッテリーを組んでいる計算夫は、先輩としてそんな石川に忠告した。「刑務所の中では、ばかばかしいと思うことでもじっと我慢して、一日でも早くシャバに出たほうが得だよ、面接願など出すと身分帳に残り、よく思われないよ」。しかし石川は、昂然(こうぜん)として言ったものだ。「俺は満期でも目じゃない。俺は七年で出てみせる」と期限を切ってみせ、刑務所生活十六年の経験から何でも知り尽くしている計算夫をびっくりさせた。これもすぐに刑務所雀どもの噂になり、冷笑のタネにされた。

    石川は正義感が旺盛なので、言わなければ収まらないのである。彼にすれば、再審の将来に自信があるので、近い将来出所できると信じているのだろう。

                  頭がかゆくてしかたがない(320頁)

    ある日のことである。五工場内の隅にある洗い場の傍(かたわ)らにせっけんがひとつ置き去りにしてあった。購入した受刑者の私物せっけんである。五工の部長はルーズなことのきらいな、真面目で几帳面な性格なので、靴先でポーンと蹴飛ばしておいた。ところがそれが石川のせっけんであった。石川はそんな部長の処置に納得せず、それについての不満を述べようと、巡閲官(じゅんえつかん)面接願箋を提出し、巡閲官に面接した。巡閲官とは、法務大臣が指名し受刑者の不満を聞いてまわる者である。数年に一度ぐらい刑務所にやってくる。あれやこれやで、石川も五工の靴工場が性に合わないと思ったのだろうか、他工場に転業したいと希望をもらすようになってきた。しかしいまだに五工場にいるところをみると、転業は許されないものとみえる。規定では、二級者にならないと希望転業はできないことになっている。石川はまだ四級者なので通らないのだ。

    石川が千葉刑務所来た最初のうちは、職員も石川に対していくらか遠慮している風に見受けられたので、石川も過ごしやすかったようであるが、だんだんと日数が経つにしたがい、ほかの受刑者たちから不満の声が上がってきた。処遇が不公平である、というのである。ひがみもあったのであろう。受刑者の眼はわずらわしく、口はなお一層うるさかった。石川は頭髪が薄くなり、ほとんど頭髪がなかった。それでも石川に言わせると、「頭がかゆくてしかたがない」ということであった。で、房内の洗面台でよく頭を洗った。

    ところが、規則では房内で頭を洗ってはいけないことになっている。その理由は今もってわたしにも不可解であるが、とにかく洗ったら「反則」としてあげられるのである。それでも受刑者たちは頭がかゆいので、看守の目を盗んでは手早く頭を洗ってすましている者が多い。「頭のかゆい」石川もまた、この手早く洗ってすましているクチであった。入浴時間が短く、頭まで十分に洗う暇がないのだ。

    あるとき一人の受刑者が洗おうとしていたところを、運悪く看守に見つかり、叱られた。その若い看守があまりにも厳しく彼を追及するので、その受刑者は追いつめられ、苦し紛れに「石川はいつも洗っているのに、なぜ石川に限って見て見ぬふりをしているのか!」と反撃に転じた。刑務所当局の痛いところを衝いたわけである。そんなことがあってから、石川もしばしば「反則」でパクられるようになった。

                                           (略)

    石川は大きな規則違反はやらない。おそらく、再審で早くシャバに出なければ、という大きな目的を持っているからだろう。パクられても減点で済む程度の、生活上やむを得ない事柄でついうっかりしてミスをした程度の小さな反則をやっては、そのうち何度かはパクられ、保安課に呼び出されてあぶらをしぼられ、その結果、減点を食うようになった。反則でよくパクられたり、面接願箋を提出するということは、刑務所内では固パンの融通の利かない「模範囚」ではない、ということだ。

(続く)