【狭山事件公判調書第二審4360丁〜】
第七十五回公判調書(供述)
被告人=石川一雄
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青木弁護人=「それから、履物のことで聞くけれども、その当時の履物は何だったの」
被告人=「長靴を切ったようなズック、何と言うんですかね、長靴を切ったようなね」
青木弁護人=「長靴というと、ゴムですね」
被告人=「ええ、ゴムです。そういった履物だったですね」
青木弁護人=「夏でもかい」
被告人=「ええ、夏でも、・・・・・・夏は勿体ないからといって、ほとんど裸足で行ったですね」
青木弁護人=「夏は裸足で行った」
被告人=「ええ、冬になると」
青木弁護人=「ちょっと待って。裸足で行ったというのは、それは何年ぐらいまで」
被告人=「何年て、小学校へ行ってる間ですね」
青木弁護人=「小学校へ行ってる間、夏は裸足で行った」
被告人=「ええ、夏はほとんど裸足です」
青木弁護人=「裸足というのは、草履も何も履かない」
被告人=「ええ、そうです。素足です」
青木弁護人=「痛くないか」
被告人=「慣れちゃってるから、何でもないです」
青木弁護人=「夏というと、何月頃」
被告人=「五月か六月頃から、九月か十月まで」
青木弁護人=「は、裸足か」
被告人=「ええ、ほとんど裸足でした」
青木弁護人=「その時に、普通の子供はズックで靴を履いているんじゃないの」
被告人=「ええ、履いてました」
青木弁護人=「じゃ、ズックの靴は買えなかった」
被告人=「ええ、勿論買えなかったです」
青木弁護人=「配給か何かあったんですか」
被告人=「長靴か何かは配給があったんです」
青木弁護人=「ズックの靴は、配給なかったの」
被告人=「ズックの靴は、靴屋で買ったんじゃないですか、みんな」
青木弁護人=「だけどお金がないから買えなかった」
被告人=「ええ、買えなかったです」
青木弁護人=「だから夏は裸足で通った」
被告人=「ええ、そうです」
青木弁護人=「寒くなるまで」
被告人=「はい」
青木弁護人=「寒くなると」
被告人=「先ほど言った長靴を切ったやつを履いたんです。確か、富士のマークが入っていたです。その長靴みたいなのに」
青木弁護人=「前っ原の子供たちというのは、みんなあんたと同じようだった」
被告人=「ええ、そうです」
青木弁護人=「やはり裸足で通ってたの」
被告人=「ほとんどそうです」
青木弁護人=「すると、前っ原のほかの子供も、あんたと同じように中学へ行った人はいないの」
被告人=「いなかったですね。二十年生まれ前の人はほとんど行かなかったですね」
青木弁護人=「あんたの兄さんも行かなかったんだね」
被告人=「行かなかったです」
青木弁護人=「兄さんは何年で」
被告人=「五年だと思ったです」
青木弁護人=「で、奉公に行ったの」
被告人=「ええ。兄貴は自分より、奉公というか、そういうところは一ヶ所しか行かないですね。自分は何ヶ所も行ったけど」
青木弁護人=「姉さんも奉公に出たね」
被告人=「勿論、そうです」
青木弁護人=「前っ原の子供というのは、だいたいそうすると、小学校で奉公に行くの」
被告人=「ほとんどそうです。出てたですね」
青木弁護人=「あんたの本家の石川崎二郎か、その人の家でも、中学へ行った子供はいないというね」
被告人=「ええ、そうです」
青木弁護人=「男六人か」
被告人=「ええ、六人です」
青木弁護人=「で、中学へ行ってない」
被告人=「ええ、そうです」
青木弁護人=「あんたの姉さんは、奉公に行って、奉公先で中学出してもらったというね」
被告人=「ええ、そうです。何か東京ですね。東京で何かそういうところへ入ったと」
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裁判長=「一枝さんか」
被告人=「そうです」
(続く)
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◯引用中の第七十五回公判の尋問は、昭和四十九年六月十二日、東京高等裁判所で行なわれたものである。

今回、法廷で石川被告に尋問している青木弁護人とはこの方であろうか。『無実の獄25年・狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社』に載っている同姓の男性の写真の解説にはこうある。「公判の報告を行なう、今は亡き青木英五郎弁護士」と。

狭山事件の冤罪性を広く知らしめたという点では評価できる部落解放同盟の活動であるが、我が子の無実を訴える石川被告の両親はこの同盟の活動に参加し、その訴えは部落解放同盟員による国民大行動へと広がっていった。

写真は昭和四十九年、つまり本ブログにて引用中の公判が行なわれていた時期の東京・日比谷公園の模様である。この裁判はおかしいと感じた人々が十一万人も集まったのであった・・・。しかし集結した人々の、これは断定することは不可能だが、集まった人々のかなりの方々が部落解放同盟の人員動員によるものであったことは否定できない事実である。
以下はこの当時活発化した、狭山事件には差別問題が含まれるとし、どういうわけか全国十九都府県で小・中学生が狭山同盟休校と呼ばれる「石川兄ちゃんをかえせ」なる行動を写したものである。


この活動を行なっている子供たちは皆ゼッケンを着用している。したがって彼らの背後にはそのゼッケンを作成し配布できるシステムを持つ団体が存在していたと推測できる。まあそれが誰かは明らか過ぎるのでここでは触れないが、三枚目の写真を見て頂きたい。

写真の説明文によれば、「保育園児たちも、保母さんの紙芝居で、狭山差別裁判を学ぶ(一九八六年五月二十二日、福岡県川崎町の保育所で)」とある。アホかと言いたい。こんな幼い子供に対してどのような媒体をもってしても、大人の話を理解させることはそもそも無理である。
このような活動を後押ししている団体が狭山事件に絡み付き、己れの存在を誇示しその影響力を広めていったのではなかろうか。同和問題の時限立法などがそれである。