アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1118

『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』

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【公判調書3469丁〜】

                      「死体の鑑定について」

                                                    主任弁護人  中田直人

(前回より続く)

四、青木弁護人の意見に一、二付言すれば、上田鑑定書は、本件死体に宙吊りになっていた痕が全くないことを、特に本屍の足首に靴の上の縁(へり)の痕が残っていることの対比からも指摘していること、また、殺害の方法に関して首の部分にある赤色斜走線(五十嵐鑑定人のいう細引紐の跡)が三つの方向から印されていることを指摘し、先ず幅広い鈍体で圧し、その後で細引紐等で死を確実にしたのではないかと指摘している(詳しくは上田鑑定書の七十六、七十七、七十八、八十二頁)が、これらは合理的な科学的根拠を有するものと判定すべきである。

次に、胃の内容物の状態から、上田鑑定書は二時間後の死亡ではないかと言っている(五十嵐鑑定は三時間という)。大変理解し易い説明であるが、上田鑑定は、本屍の程度の消化状態であれば、カレーの黄色の色調が残っているはずだと指摘している。トマトについて言えば、これを摂取したという証拠は本件資料には全く存在しない。中田健治証人はむしろ積極的に否定している。これらを考え合わせると、善枝は自白のとおりに殺害されたのではないと思われる。上田鑑定書はこのことを強く示唆しているのである。

上田鑑定書は被告人の無実を科学的に証明するものである。

五、証人として今回請求した中田友也は代々木病院の医師で、外科医の経験三十年である。法医鑑定のほか外科臨床の豊富な経験を有する。中田医師は本件死体について上田鑑定と全く同様の指摘をした。例えば、本件死体後頭部の外傷が生前のものなら出血は実況見分調書(添付写真)のようなものではあり得ないこと、もし出血がその程度なら外傷は死後のものと考えると言っている。また死斑の状況から見て逆さ吊りになっていたとは言えられないと指摘している。中田医師は五十嵐鑑定書が、胃、その他の内臓諸器官の重量測定さえも怠っている杜撰(ずさん)さをもまた指摘し、本屍が急性死であることは間違いないとしても薬物死の可能性があり得ることを考えれば非常に不充分であったことを強調している。

中田医師の証言は上田鑑定書を補充するものであり、ぜひ採用を求める次第である。

検察官も又これら本件死体に関する取調には積極的協力されることを強く要望する。

                                                                                    以上

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「筆跡などに関する新しい五つの鑑定書の立証趣旨について」

                                                                弁護人:山下益郎

五つの鑑定書は、うち三つの筆跡に関する鑑定と、玉石・棍棒および残土に関するものに分けられますが、先ず筆跡について、次に玉石・棍棒および残土についてその立証趣旨を述べます。

                    「筆跡についての三つの鑑定」

                                           (一)

筆跡について第一審で提出された関根・吉田鑑定、長野鑑定および当審の高村鑑定(以下、三鑑定という)を含めて、これに対する批判は、すでに中田主任弁護人の更新手続の弁論に詳細に述べられているところであります。

右三鑑定に共通するところは、脅迫文と石川一雄作成の昭和三十八年五月二十一日付上申書(以下、単に上申書という)およびその他の石川作成の文書との比較対照において、一部類似しているとみなされる筆跡にのみとらわれ、その類似点のみを強調することによって同一筆跡なりと断定しています。そこにあらわれている致命的欠陥は、各筆跡の相違点には全く目をつむり、就中各文書の、その書き手の表記能力(読み書き能力)の質的差異について、全く関心を示さなかったという点にあります。これに対し新鑑定はいずれも、各文書の文章構成、文字の表記能力、仮名の使用方法、漢字の表記、句読点の打ちかた、横書きの問題とその習熟の程度を、国語学の立場から分析し、各文書の筆者の表記能力を客観化するという方法を用いております。そして客観化された各文書の表記能力を比較対照することにより、特定の書き手がこれをよく表記し得るか、次いで具体的に筆跡の異別を論じようとするものであります。

(続く)