『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』
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【公判調書3477丁〜】
「筆跡などに関する新しい五つの鑑定書の立証趣旨について」
弁護人:山下益郎
(二)
3 「綾村勝次鑑定書について」
本鑑定書の前提は「硬筆書写鑑定にあたっては字形、字体が同じような書き方であるからといって同一人物の手になるとは言い難い。かえって趣きを異にした文字が他にあることによって同一人の手でないことが裏付けされるのである。さらに硬筆である以上、一定の傾斜を持つならば文字形や動きや趣きまで同一に見る可能性がある。換言すれば、一部分に相似の点あるも他に筆趣の異なるものがあるときは、かえって同一人の書写とは認め難い」とし、また「鑑定人はいかなる些細な相違も見逃してはならない」というのであります。弁護団は本鑑定書によって、脅迫文と上申書および昭和三十八年七月二日付:石川一雄の検察官に対する供述調書に添付してある脅迫文(これは石川君が空で暗記させられた文章を筆記させられたもの・以下調書添付の脅迫文という)とが同一筆跡でないことを立証しようとするものであります。以下、本鑑定書中重要な点を概略述べます。
イ、「前の門」を「さのやの前」に、「4月28日」を「五月2日」と書き改めた筆跡について。
本鑑定書は、右訂正箇所には筆勢・筆順に無理があり、つまり苦心して書写した跡があり、これは故意に左手によって書かれたものであると指摘しています。高村鑑定はこの点について全く触れてません。ただ、関根、吉田鑑定は「『五月2日』、『さのやの前』の文字は筆勢が著しく渋滞し、筆圧が強く不自然な記載」であると本鑑定書と同様な判断を示しているのですが、何故そうなったかについては何らの判断も示さず、結局「他の文字と比較検査すると、同一個性の筆致と認められる」と、この重要点を見逃していますが、本鑑定書によって初めてその理由が解明されたわけで重要な指摘であります。石川自供では「殺害現場でボールペンで訂正した」というのみであり、自供の架空であることがこれでも明白になるのです。
ロ、「も」字について、高村鑑定らはいずれも、第三筆が、どの字も比較的長く書く点が類似しているので同一筆跡だと判断していますが、本鑑定書は、脅迫文中「も」の字については、いずれも第一画が真下に引いてあるが、このような「も」は他の石川作成の文書は見られず、第一画はその下を丸めて書いてあると指摘し、脅迫文の「も」と、その余の文書の「も」は同一筆跡でないことを明らかにしたのであります。
(上二点は脅迫文の「も」という文字)
(こちらは石川氏が逮捕されたのち、連日脅迫文を手本に字の練習をさせられ、その後書かされた脅迫文の写し)
(その写しに残された石川氏の筆跡による「も」という文字)
ハ、上申書の「時」の字は「晴」字形に書かれてあり、その余の文書の「時」は、いずれもその旁が「寺」字形になっているので、同一筆跡でないことを明らかにしたのであります。ところで高村鑑定では対照文書に「時」字がなく、鑑定対象になっていませんが、長野鑑定では旁は明らかに上申書と脅迫状では相違していると指摘し、この点では本鑑定書と同様の観点に立っています。また関根・吉田鑑定も同様の意見ですが、結論は同一筆跡であるとして、その理由は全く曖昧であります。
(「時」と書いたつもりであろう文字が上申書に残されており、これは石川氏の筆跡によるものである)
ニ、「金二十万円」の「金」字は、脅迫状の字は第一画、第二画が閉じていますが、その他の「金(写真参照)」は
となっており、第一、第二画が開いています。本鑑定書はこの差異が極めて重要なことを指摘しています。しかし関根・吉田鑑定書および長野鑑定は全く触れていません。つまり調書添付の脅迫文を鑑定資料として採用していないのです。
(続く)
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○逮捕前の五月二十一日に石川氏が書かされた上申書は興味深い。
「はたくしわ」という文字が確認出来るが、これは「わたくしは」と言いたかったと思われる。
「〜にさの六造と」というのは「兄さんの六造と」という意味である。
「この日わどこエもエでません」・・・氏の言いたかったことは、「この日はどこへも出ません」ということであろう。
「ごご4晴」「ごご9晴」。よく見ると「晴」という漢字すらちょっと怪しいが、まあ「晴」として認め改めて眺めると、いやこれは「時」という漢字の使用が正解であることに気づく。
時系列で言えば、脅迫文を作成したのちに、この上申書を書いたことになり、脅迫文に見られる正確および達筆な「時」という表記が、数日後には「晴」という誤字を表記するまでに筆記能力が退行しているのは何故だろうか。
正解を述べておくと、脅迫文の筆者と上申書の筆者は別人であるからである。捜査当局を除き、これを同一人物が書いたとは誰も思わないが、ではその当局は「ごご4晴」「ごご9晴」とはどういう意味かを説明出来るのだろうか。