腕時計を発見したのは当時七十二歳となる小川松五郎さんであった。
【公判調書2927丁〜】
「第五十五回公判調書(供述)」
証人=小島朝政(五十六歳・財団法人埼玉県交通安全協会事務局長)
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橋本弁護人=「捜査員の名前は分かりましょうか」
証人=「さあ、あの頃残っていたのは、石原警部補が係長でいたんでその人だけは覚えていますが、あとは入れ替わりしたんで分からない、忘れましたが。その石原安儀ですが、彼が私に、道の真ん中に捨てたものが今頃ありゃしないということで捜査を下命されたことについて不満を漏らしましたが、まあそういう表現でちょっと当らないかも知れませんが、とにかく今頃行ったって、道の真ん中になんてありゃしないよ、ということを言っておりましたね。まあ捜して見ろということで、繰り返しになりますが捜させたんですが、無いから、それよりは近所の人を、拾った者、あるいは拾った者を見た者、聞いた者がいるかどうかということをやりましたということを報告されたのを記憶しておりますが」
橋本弁護人=「そうすると捜査員がやったことは道路の周辺を自ら捜すことと、付近の人家に聞込みをやるということと、この二つですか」
証人=「そうですね」
橋本弁護人=「あなた自身が道路の周辺を捜すということはしなかったんですか」
証人=「ええ、私はございません」
橋本弁護人=「付近の人家の聞込みもしなかった」
証人=「ええ、全然近所には立寄らなかったです」
橋本弁護人=「あなたは小川松五郎という老人の家に行ったことはないんですか」
証人=「ございません。私は先ほど申し上げましたその手拭いの捜査の時に、どの辺まで進んでいるかということで捜査員の捜査の状況を見た時にあの辺に家があったなということで今申し上げました小松松五郎の家を発見された時に思い出したんで、その前には小松松五郎の家は知らなかったんです」
橋本弁護人=「捜査員から時計の捜査の状況について報告があなた宛てになされるわけですね」
証人=「はい」
橋本弁護人=「これは書面でですか、口頭でですか」
証人=「特別なかったので口頭で報告があったわけです。もう何もないし書面といっても書面にするほどのものが何もなくて、もう、捜査員が道の真ん中に捨てたものなんてありゃしないということで、いや、私自身も、まあほとんどあんなところには、T字路の真ん中に捨てたなんて、これはもうないという風に考えておりました」
橋本弁護人=「そうすると口頭で報告を受けているということですね」
証人=「ええ、そうですね。あるいは締めくくりに一、二回捜査の報告が出ているかどうか、その点今ははっきり記憶ございませんですね」
橋本弁護人=「先ほどに戻りますけれども時計の捜索調書を作成したかのような発言がありましたね」
証人=「はい」
橋本弁護人=「捜索調書を作成したんですか」
証人=「捜索調書ねぇ、作ったように記憶しておりますがね」
橋本弁護人=「実況見分調書は作成しましたね」
証人=「捜索調書じゃなくて実況見分、押収調書を作ったわけですね」
橋本弁護人=「実況見分調書、ほかに捜索調書を作ったんですか」
証人=「捜索調書は作ってないですね、作っていませんね、多分」
橋本弁護人=「実況見分調書だけですか」
証人=「と思いますね」
橋本弁護人=「実況見分調書を作ったことは覚えているんですね」
証人=「覚えております」
橋本弁護人=「あなたが部下に下命して捜索をなさしめたというのは実況見分調書を作成する前ですか、あとですか」
証人=「その時計の捜索は勿論見つからない前ですから、発見されれば現場を見分して時計を押収したという書類が出るわけですから」
橋本弁護人=「実況見分調書を作成した日と、あなたの部下が捜索をした日は連続しているんですか、それとも何日か間が」
証人=「あの小松老人でしたか」
橋本弁護人=「小川老人」
証人=「ああ小川老人が見つけたというのは捜索に当った者が捜査を打切った後、一日置いたか何日置いたか、その点記憶ありませんが、それでざっくばらんに申しまして、刑事部長に私叱られたことが記憶あるんです。何をしたんだと、どこを捜査したんだと、七十にも八十にもなる老人が見つけた時計を大の刑事が七人も八人も行って見つからないとは何事だということで叱られたことを記憶してますね」
橋本弁護人=「それから小川老人が時計を発見するまでの間はどれくらいありましたか」
証人=「一日か二日か、あったでしょうか。いずれにしても捜査を一旦打切っちゃってからなんですから」
(続く)
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『狭山現地・いまむかし』
埼玉県狭山市の人口は狭山事件発生当時、約3万7千人であったが、その後急速な都市化を見せ、現在の人口は約15万人となっている。
この狭山事件はある意味で当地の変容ぶりを知る貴重な記録を残したとも言えよう。
何の変哲もない路地や雑木林、あるいは西武線のガードや地元民しか知らぬ寂れた神社など、この事件が起こらねばそれらは写真記録として残ることはなかったであろう。
それでは本件にまつわる腕時計発見現場の風景、その変化を見てみよう。
【昭和38年】
【昭和63年】
【令和6年】
・・・とまあ、市街地においてはこのような変貌を遂げている。それでもまだ狭山市堀兼の周辺に赴けば、まだまだ昭和臭を強烈に放つ風景が残っており、たびたび私はそこを訪れワンカップをすすりながら黄昏るのが好きである。