アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 777

写真は、石川被告人の自白に多大な貢献をした関源三巡査部長。(狭山差別裁判・第三版より引用)

【公判調書2419丁〜】

                   「第四十七回公判調書(供述)」

証人=斉藤留五郎

                                            *

福地弁護人=「狭山署で足跡を採取したことがありますね。警察署の中で」

証人=「はい」

福地弁護人=「あなたそれに立会ってますね」

被告人=「立会ってますか」

福地弁護人=「足跡を採取したということは記憶にあるわけでしょう」

証人=「その話は聞いたことありますが、おたくが言う通り立会ってますか」

福地弁護人=「あなた聞いておるんです」

証人=「私は立会っておりません」

福地弁護人=「狭山警察署の中で足跡を採取したという話は聞いているんですか」

証人=「はい」

福地弁護人=「あなた立会っていないんですか」

証人=「はい」

福地弁護人=「本当ですか」

証人=「と、今、覚えております」

福地弁護人=「あなた立会ったという具合に言っておる人もいるんですがね」

証人=「ああ、そうですか。でも、私は今思い出せませんが、で、現在の記憶では立会った覚えはないと思っております」

福地弁護人=「では、あなたの記憶を喚起するために私のほうから言いますがね、狭山警察の留置場の中に土を運び込んで来てその土の上を石川君に歩かせた、そういう方法で足跡を採取した、これはもう、みんな認めておるんですがね。あなた、その現場を見ていたんじゃないですか」

証人=「見ておりません」

福地弁護人=「断言できますか」

証人=「現在の私の覚えているところでは見ておりません」

福地弁護人=「狭山署の留置場の中で足跡を取ったということは誰に聞きましたか」

証人=「その晩聞いたと思ってます」

福地弁護人=「その晩に」

証人=「はい」

福地弁護人=「誰から聞いたかと聞いておるんですがね」

証人=「誰からか、ちょっと今、思い出せないんですが」

福地弁護人=「狭山署時代のことは一応その程度にして、今度は川越署時代のことを聞きますがね、石川君が川越署に移されてから、留置場の食事を取らなかったことがありましたね」

証人=「はい」

福地弁護人=「石川君はなぜ留置場の御飯を食べなかったのか、あなた知ってますか』

証人=「あれは狭山から川越に移った最初だと思います。その時に、狭山の食事は非常にいいお弁当だったんです。それが川越へ来て、普通の官弁が届いて、こんな不味いものが食えるかと言って最初食わなかったように覚えてます」

福地弁護人=「こんな不味いものが食えるかというようなことを石川君が言ったわけですか」

証人=「はい」

福地弁護人=「それ、あなた聞いたんですか」

証人=「言ったのは知らないけれども、看守の言と、確かにその食事は食わなかったように思います」

福地弁護人=「そのことを石川君と話したことはありませんか、絶食した件について。食べ物の件について」

証人=「それで一食食べなかったように思いますが、二食目にまた食わないで、私達が食べる職員のどんぶり飯なんですが、それを食べさしたと覚えています」

福地弁護人=「そうじゃなくて、お前なぜ飯を食わないんだということをあなたは石川君に言ったことありませんか」

証人=「私は直に言った覚えはありません」

福地弁護人=「俺なんぞ、軍隊で何十日も飯を食わないことがあったと、水だけで済ましたことがあったと、そういうことを石川君に言ったことありませんか」

証人=「覚えておりません」

福地弁護人=「石川君が食事をしなかった、留置場の御飯を食べなかった期間というのは、およそどのくらいと記憶しておりますか」

証人=「一食か二食と覚えております」

福地弁護人=「一食か二食だけ」

証人=「はい」

福地弁護人=「石川君は御飯を食べないんで医者を呼んだことがありますね」

証人=「その時に、私は医者に診てもらう時の覚えがないんですが、いなかったのかも知れません、私が」

福地弁護人=「あなたはいなかったけれども、お医者さんが来たということは後で聞いたんですか」

証人=「はい」

福地弁護人=「どういう診断だったか記憶ありますか」

証人=「分かりません」

福地弁護人=「あなた関源三という人を知っていますか」

証人=「はい」

福地弁護人=「関源三さんとはいつ頃からの知り合いですか」

証人=「川越に関さんが来る一週間くらい前かと覚えています」

福地弁護人=「川越に関さんが来る一週間くらい前ですか」

証人=「はい。顔はその前に食事に行って見てはおります」

福地弁護人=「川越に関さんが来たのはいつ頃ですか」

証人=「それについては・・・・・・」

福地弁護人=「正確でなくてもいいですよ。石川君が川越に移されてすぐなのか、また、何日か経ってからなのか」

証人=「確たる日数は分からないんですが、一週間くらい後かと思います」

福地弁護人=「被告人が移されてから一週間くらい」

証人=「ではないかと思います」

福地弁護人=「どこで会ったんですか」

証人=「川越です」

福地弁護人=「関さんは何しに来たんですか」

証人=「その時には私には分かりませんでしたが、石川の調べということでした」

福地弁護人=「会った場所は川越署の分室の取調室で会ったんですか」

証人=「いや、食事を一緒にしておりました」

福地弁護人=「その時に、関さんが取調べに来たというようなことを言ったんですか」

証人=「いや、私には言いませんでした」

福地弁護人=「関さんが川越署に来て、実際に取調べをやったでしょうか」

証人=「やりました」

福地弁護人=「関さんが取調べやったのは関さん一人で取調べやったんですか、それとも、誰かと組んでやったんでしょうか」

証人=「当時の遠藤警部補と、ほか、誰かが最初に一緒にいたと覚えてます」

福地弁護人=「長谷部さんと関さんとが取調べをしたような記憶はありませんか」

証人=「ですから、その時も、長谷部さんか遠藤さんであったか、どちらか記憶にはございませんが、いたんではないかと思います」

(続く)

                                             * 

石川被告が食事を拒絶した件について「狭山差別裁判・第三版」によると、きっかけは食事がまずいと被告が抗議したのに対して、斉藤という刑事が「それなら食うな。俺たちは戦争に行って水だけで三十日も生きていた。どのくらい生きられるのか、食わないでいてみろ」と挑発したからであったとされる。だが、食事拒絶の理由はそれだけではなく、警察が証拠もなしに拘禁し続けることに対する憤りがその背景にあり、「こんなに疑われるなら食わずに死んでやる」(読売新聞・六月二十五日付)とさえ言っていたのである。

捜査本部は六月二十二日、石川被告の絶食が取調べに支障がないかどうかを調べるために、川越署の嘱託医をしている川越市内赤心堂病院の加登豊医師に石川被告の診察を求めた。