(事件当時の佐野屋付近。この写真は警察による航空写真であり上部遠方には石田養豚場や被害者の実家が確認出来る。)
【公判調書2280丁〜】
「第四十五回公判調書(供述)」
証人=大谷木豊次郎(五十八歳・浦和自動車教習所法令指導員。事件当時、埼玉県警察本部捜査一課・課長補佐)
*
福地弁護人=「先ほどあなた捜査の常道からして犯人は現場に長くとどまらないと、畑の中にはいないだろうということでその後は周囲を捜したと」
証人=「ええ。この図面で言えば61とか59あるいは、この、町田忠治方の前のほう、ここには張込みがいたんですけれども確認をする意味において。それからずっと59からずっと右下に来た一番図面の右下にある橋ですね、権現橋のすぐ下の橋のほうとか、こういう方向に向かって捜査をすすめました」
福地弁護人=「それはあなたが戻ってすぐそういう方面に行かれた」
証人=「だからそこにいる者に、このまわりに小天の前のところにいた者、私のところにいた者、私の前にいた者、そういう組が間近におったんで、この者にそちら方面に行けということで、それから誰だったか本部の方に連絡して逃げられたという話をさせたような気がするんです」
福地弁護人=「権現橋のほうには当初から張込みの人がいたんじゃないんですか」
証人=「おることはおったんですけれども、やはりそっち方面に、権現橋方面は道が分かれてますからその先に向かっての捜査ということも、あるいはこの川のこういう状況は分かってませんでしたから川の状況なども、逃げられたについてはとにかくそっち方面にも逃げたかも知れんと、ある程度畑の中を逃げて行けばいつまでも畑の中じゃないから道路に出るんだからと、それを追っかけろとこういうことなんです」
福地弁護人=「そういう手配を、つまり要所要所の道路を捜せという」
証人=「要所要所に張込み地点がありまして、張込みしておったところに自動車で回って、逃げられたから分かれて、そっち方面に行ったからそっち方面を捜せということになったんです」
福地弁護人=「車に乗ってずっと回ったんですか」
証人=「そうです」
風に弁護人=「車に乗って図面でいうとどこどこを回りましたか」
証人=「図面でいうとちょっと記憶がはっきりしないんですが、さっき言った佐野屋の前のところを市役所の支所の方のほう(原文ママ)に行って交叉点を右に曲がって、それから権現橋のほうに行ってまた引返して来たような記憶があるんですが。町田忠治の方には誰かをやったかも知れませんですね。61地点から町田忠治の家のほうに来たような気がするんですね、この辺のところの記憶はそうはっきりはしてないんです」
福地弁護人=「町田忠治のほうに来てからまた小天喜一郎のほうに戻った記憶がありませんか、ありますか」
証人=「そこから後はどういう風に動いたかちょっと記憶がありませんね。小天のほうにいた者はもう私たちが飛び出したんでもって逃げられたということを知ったんで、どこかほかの町田忠治のほうにでも行ったかと思うんですけれども、その辺がどうもはっきりしないんですね」
福地弁護人=「権現橋のほうに行かれた時には権現橋に張込んでおった人はそこにおったでしょうか」
証人=「まだおった気がするんですね。おったのでこの張込みを、こっちには来ないと言うのでずっと下の中のほう、権現橋から下のほうに橋がありますね、そっち方面を捜させたような気がするんです。権現橋と下の橋の間を。道路があるかどうか私は知りませんから、そちらのほうを捜査しろということを指示しました」
福地弁護人=「町田忠治のほうに権現橋から戻ったと言いましたね。張込みの人はそこにもおったでしょうか」
証人=「この時はどうだったか記憶ないですね。戻ったような気がするんですが、そこにおったかおらないか記憶ありません」
福地弁護人=「そういう指示をしてそれからどうされました。夜明けまでまだ間があると思いますが」
証人=「その辺を夜明けまでとにかく捜したわけです」
福地弁護人=「畑の中は捜さなかったんですか」
証人=「畑の中はその後です」
福地弁護人=「その後というのは」
証人=「とにかくあそこは前の晩まで雨が降っておったわけですね。ですからそこのところを荒らすようなことはあまり好ましくないですから、あとの捜査の関係で。それで夜が明けてからそこのところから足跡を追跡してどっちに逃げたかということを追跡したんです」
福地弁護人=「まわりを一晩中捜して、犯人が実際に逃げた畑を捜さないというのはおかしいように思いますが、畑も捜したんじゃないですか」
証人=「どうしてですか」
福地弁護人=「一晩中畑のまわりの道路は捜したんでしょう。それなのにその畑の中をどうして捜さなかったんでしょう、犯人が潜んでいるかも知れないでしょう」
証人=「そんなに近くに犯人が潜んでいると思いますか」
福地弁護人=「思いますね。その可能性はあるでしょう、全然あなたはそれを・・・」
証人=「犯人がそういう近くに潜んでいると思えば捜しますよ」
福地弁護人=「全然思わなかったんですか」
証人=「思わなかったですね」
福地弁護人=「畑の中は捜すなという指示でもしたんですか」
証人=「特に指示はしてません」
福地弁護人=「指示はしてないけれども、誰も捜さなかったんですか」
証人=「ええ」
(続く)
*
・・・引き続き先日の、市民プラザかぞ(加須)で行なわれた「造花の判決」上映後の、狭山事件再審活動関係者の報告及び主催者から配られた冊子についてであるが、どうやら万年筆の件以外にも有力な証拠鑑定がなされた模様で、一つは犯人が書いた脅迫状の文章能力と事件当時の石川一雄氏の文章能力を対比させた鑑定であり、もう一つは両者の筆跡が同一か否か、を問う、筆者異同識別鑑定である。
まず一つ目の文章能力について、脅迫状作成者の文章表現、その能力は高く、意図的な当て字が散見されるが誤字は見当たらない。さらには「拗音」が正しく書かれている。つまり「気んじよ」ではなく「気んじょ」と。
対して、石川一雄被告人が事件直後の五月二十三日に書いた上申書を見ると、漢字は正確に書けず、
漢字以外の文字も誤字が目立つ。
「拗音」が書けてない。
「しょちょうどの」を石川一雄被告人が書いた場合「しちよんどの」となっている。
以上は遠藤第2鑑定と呼ぶ。
そもそもは1963年5月23日付の、逮捕後の石川一雄氏が書かされた上申書が、47年後、2010年5月13日に検察官による証拠開示で明らかになり、今回の鑑定に結びついた。検察側は、石川一雄氏があくまで狭山事件の犯人だというならば、自信を持って全証拠を開示すべきであろう。怖気づく必要は全くないのだ。
もう一つの鑑定である筆跡異同識別鑑定については後日述べよう。