アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 715

【公判調書2260丁〜】

                  「第四十五回公判調書(供述)」

証人=大谷木豊次郎(五十八歳・浦和自動車教習所法令指導員。事件当時、埼玉県警察本部捜査一課・課長補佐)

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裁判長=「あなたの従来の主として警察官時代の経歴を述べて下さい」

証人=「昭和十三年十月朝鮮の総督府巡査を拝命いたしまして二十年の終戦まで朝鮮におりました。それで北鮮におった関係で俘虜生活を一年ばかりやりまして、二十一年八月に帰国いたしました。それから二十一年十一月に埼玉県巡査を拝命しました」

裁判長=「埼玉県巡査を拝命してからのいろいろな職務についたと思いますから、それを相当細かく述べて下さい」

証人=「最初、飯能警察に入りまして二十二年八月に巡査部長を拝命しまして浦和警察署に来ました、巡査部長になって」

裁判長=「そういう時代にはどういうことをやってました」

証人=「巡査の時は受持ちは外勤でありました。当時は公安というのがありまして、そこに三カ月くらいおりました」

裁判長=「二十一年十一月から二十二年八月まで一年足らず公安の外勤をやってそれから」

証人=「浦和警察署に来まして、巡査部長公安主任です。それから同年十一月県警本部の刑事部刑事課に行きまして犯罪統計事務をやっておりまして翌二十三年二月警備課が新設されまして、警備課の渉外課に入りまして、同年六月に警部補になりまして、松山地区警察署で、その時には刑事主任でございます。そこで二年半おりまして、二十六年十二月熊谷地区警察署に参りまして、当時国警と地区とありましたから地区の方の警備主任です。現在でいけば係長という形です。二十八年に警部になりまして川越地区警察署に移り警備係長、現在で言えば警備課長といいますが、それから三十年一月だったと思いますが、大宮警察署に参りまして警備課長、それから三十三年だったと思いますが刑事課長になりました。三十三年、月は忘れましたが。それから三十六年だったと記憶しておりますが、県本部の捜査一課に参りその時には課長補佐ということで、仕事の内容は幹部警察官の司法事務の指導ということでありました」

裁判長=「将来幹部になるべき警察官の指導ですね」

証人=「はい。これが警部補階級になっている者を対象とした司法警事警察(原文ママ)のやり方の指導であります。それから三十七年十月でしたか草加警察署の次長でございます。四十年十月と思いましたが小鹿野警察の署長、翌四十一年十月に東松山警察署長、四十二年十一月に県本部警備部付となりまして、もう現役を退いたわけです。四十三年三月一日付で警察を退職致しました。大体、それで間違いないと思います」

裁判長=「三十六年以降三十八年十月までは県警本部捜査一課の課長補佐として、主に幹部の警部補を対象として刑事警察事務について指導を主としてやっておったというわけですね」

証人=「はい」

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福地弁護人=「証人が善枝さん殺し事件の捜査に関わりを初めて持たれたのはいつ頃からですか」

証人=「この事件は五月一日にあったと記憶しておりますが、その朝課長から特命を、課長から次席を通して特命で、狭山警察署に行って署長と相談をしろと、こういう漠然とした命令を受けたんです。何事だろうというのでもって行ってみたところが、前の晩、だったと、こう言われたと思いますが、善枝ちゃんが行方不明になってしまった、それで投書が被害者の家にその晩投げ込まれておった、今晩十二時、と記憶しておりますけれども、時間ははっきりしません、とにかくあそこの何と申しましたか、何か商い屋があるその前のところに・・・・・・」

福地弁護人=「その辺はまたあとで聞きますが、あなたはこの事件の捜査に関わり始めたのはそうするとその朝と仰いましたが、五月二日の朝ですか、五月一日に、とあなたは仰ったけれども」

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裁判長=「あなたさっき五月一日の朝行けと言われたと」

証人=「一日の朝です。とにかく前の晩に事件が発覚した翌日になるんです」

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福地弁護人=「おそらくあなたの勘違いだと思いますが、五月一日に善枝ちゃんが誘拐されたんですよね」

証人=「そうすると二日になりますね、日時の点は忘れてしまいましたが」

福地弁護人=「殺された善枝さんが誘拐されたのは善枝さんの誕生日であったという記憶はございますか」

証人=「その点は記憶が、今、はっきりしません」

福地弁護人=「あなたに狭山警察のほうに行けと命令された課長というのはどなたですか」

証人=「当時の課長は、ちょっと何といったか・・・・・、私に電話して来たのは将田次席だったと思います」

福地弁護人=「五月二日朝何時頃狭山署に行かれましたか」

証人=「九時頃になったかと思いますね」

福地弁護人=「特にどういうことを手伝えとか、そういう具体的な命令は受けてないと先ほど仰いましたね」

証人=「はい」

福地弁護人=「そうするとどういうことですか、捜査全般を補助しろというようなことですか」

証人=「そういう意味にとりましたんですが」

福地弁護人=「県本部から出向いて狭山署長を補助しろと、こういうことですか」

証人=「そうです」

(続く)

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○今回引用した法廷の記録は原文通りではなく、証人である大谷木豊次郎氏が経歴を述べている部分を改訂してある。理由は、狭山事件公判調書第二審2260丁から2261 丁にかけて記載された内容が重複している事実を発見したからであり、その重複箇所を修正しブログへ記録した。

(2260丁)

(2261丁)

裁判長と証人の問答が二度繰り返されている。いや、もしかすると法廷では調書の通り進行したのかも知れず、私の判断は間違いどころか、厳正なる法廷の記録を破壊するという、単なる愚行で終わる可能性も大きい。

この重複した部分、特に証人の証言を読むと、「二十一年八月、朝鮮より帰国」の後、「二十三年二月、(県警本部に新設された)警備課の渉外課に入りまして、同年六月に帰国いたしました」と記載されている。この文章を素直に読んだ場合、「二十一年に朝鮮から帰国したのち、二十三年から埼玉県警本部警備課に勤務、六月に帰国した」と理解できるが、すでに帰国済みの証人は六月、いったいどこへ帰国したのかという疑問が発生する。

こういった内容を含みつつ同一の文章(問答)が二回繰り返されているこの2260丁及び2261丁は、修正を施して記録することが正解であろう。