アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 694

「〜この事件は証拠も少ないし、面倒である。この事件の取調主任官は、熊谷の二重犯人の逮捕事件の責任者であったから、若しこの事件が裁判所へ行った場合、こういう取調主任官が調べたんだから無理があったんではなかろうかと思われてはいけないから、この際取調主任官をかえたらいいだろう。静岡県の仁保、幸浦事件がそれぞれ最高裁判所でくずれているので、上司にそのことを話して、結局取調官をかえてもらったわけです(長谷部梅吉の証言)」(佐木隆三=ドキュメント狭山事件より)

長谷部梅吉により取調官という任務を外された清水利一への尋問が始まった。

【公判調書2183丁〜】

                 「第四十四回公判調書(供述)」①

証人=清水利一(五十六歳・会社員)

                                          *

裁判長=「あなたが警察官になられてからの経歴を話して下さい」

証人=「昭和十一年四月、埼玉県警察へ入り、昭和十八年八月か九月に巡査部長として行田の警察に行きました。二十年の終戦直後から大宮の警察に参りました。巡査部長のままです」

裁判長=「捜査の関係ですか」

証人=「はい。それから二十二年の九月に警部補になりまして県警本部の捜査一課に行きました。それから二十七年の三月に警部になって川口の捜査課長になりました。そして二十九年の七月にまた捜査一課へ行ったわけです。課長補佐です。それから三十一年の十二月、加須警察署の次長で、警部ですが行きました。それから三十五年に大宮の警察署の捜査一課長、そのあと三十七年三月、県警本部の捜査一課課長補佐です。課長補佐は何人もいますが、三席ということです。それから三十八年の八月岩槻警察の署長です。四十年の三月、埼玉県警本部の交通一課長、これは交通企画課長、兼務でした。四十一年九月、鴻巣の警察署長。四十三年の三月、県警本部の刑事総務課長、兼務で捜査一課長です。四十四年の九月頃退職して、一ヶ月ちょっとおいて武蔵野銀行に勤めました」

裁判長=「四十四年の十一月頃からですか」

証人=「十一月一日頃じゃないかと思います」

裁判長=「そのまま今に至るのですか」

証人=「はい」

裁判長=「三年ぐらい前に自動車による負傷ということですが、何年ですか」

証人=「四十四年一月、大宮で追突をされました」

裁判長=「刑事事件になったのですか」

証人=「飯能の強盗殺人事件が解決して、警察官の実地検証をやるようにということで夕方出て行った時です」

裁判長=「あなたが追突されて誰かがしたと、その誰かは刑事事件になったのですか」

証人=「これは刑事事件になって送られたと思います」

裁判長=「どうなったか分かりませんか」

証人=「示談を直ぐしてやりましたから罰金程度だと思います」

裁判長=「仲間じゃなく、普通の人ですね」

証人=「トラックですから、そうじゃないです」

裁判長=「そのとき、あなたは負傷した結果、逆行性の記憶喪失症になって、入院は」

証人=「治るまで三ヵ月ぐらい休みました」

裁判長=「通常の状態と較べると、負傷前の過去の記憶が薄れた時代があったということですか」

証人=「と、言うことは自分が仕事を辞めた動機も、自分で、右の耳が少し聞こえが悪くなりましたし、記憶力も大分減退したと自分で認識したので申し出て辞めさせてもらいました」

裁判長=「警察官は停年(原文ママ)はないのですね」

証人=「停年はございませんけれども大体五十五が過ぎた翌年の三月に辞めるジンクスになっております」

裁判長=「あなたはそれより前ですね。今五十六だから」

証人=「そうです」

裁判長=「現在、医者か何かに診てもらっていますか」

証人=「現在は診てもらっていません」

裁判長=「定期的な診断なんかは」

証人=「定期診断は会社でやりますが、脳波の関係はやりません」

裁判長=「その結果はどうですか。現在は全然怪我受けない時と同じような、当然年令に従う変化があるでしょうけれども、五十六なら五十六という人間の年頃の身体精神状況だと自覚していますか。それとも多少怪我のせいでね」

証人=「天気の悪い日は頭が重くて首が痛いんです。雨の降る日、雪の降る日はてきめんです」

裁判長=「賠償関係はどうなりましたか。追突を受けて、向こうに責任があったわけでしょう」

証人=「これは私共も仕事上のことでありますから、あまり強い要求も出来ませんから、運転手は二日ぐらい休んだんですけれども、慰謝料として運転手が二万円くらい、私が三万円くらい頂いたんじゃなかったでしょうか」

裁判長=「医療費は」

証人=「医療費は向こうが出しました」

裁判長=「どのくらい出しましたか」

証人=「相当かかったと思いますが」

裁判長=「何十万ですか」

証人=「でしょうね。それから、車を弁償してもらいました」

裁判長=「自賠法に基づく強制保険金はどのくらい出ましたか」

証人=「当時覚えていましたけれども」

裁判長=「覚えていたと」

証人=「その頃は判子を押したから知ってましたが」

裁判長=「慰謝料三万円は、今日にしてみると少ない額だと思いますけれども四十四年頃なら、まだそういう時代じゃなかったかも知れない。それから療養費が数十万円出たということになれば、そういうものをひっくるめて少なくとも数十万円の強制保険が出たでしょうね」

証人=「そうだったですね」

裁判長=「と、強制保険を以て医療費に充てた、それ以外に慰謝料三万円ぐらい貰ったことがあると聞いておいてよろしいでしょうか」

証人=「ええ」

裁判長=「四十四年というと、あなたは交通のほうをやったことがあるんだが、四十四年だと亡くなっても三百万の時代ですね」

証人=「そうです」

裁判長=「負傷が五十万の時代ですか」

証人=「そうです」

裁判長=「その程度ぐらいは出たんですかね」

証人=「療養費は直接私がタッチしないで私の下の次席が全部やってくれましたから」

裁判長=「しかし、後遺症があって自動車の障害のためであるということであれば医療を継続すれば五十万円で打ち切りじゃなかったですね」

証人=「それは、入院して出費がかかる場合は」

裁判長=「百五十万円ぐらいになりますね」

証人=「ただ先方が気の毒な方で、余談になりますが臨時雇いのその日暮らしの運転手だったんです。社長さんがよくわかる方だったものですから」

                                          *

石田弁護人=「今日の天候は特段あなたの身体にとってマイナスにはなりませんね」

証人=「心配いりません」

石田弁護人=「狭山事件という、善枝さん殺し事件の捜査に関与されたことがありますね」

証人=「はい」

(続く)

写真は狭山事件公判調書より。"埼玉県警察"との表記が正解と思うが、どうか。