(写真は"差別が奪った青春"部落解放研究所・企画・編集=解放出版社より引用」)
【公判調書1898丁〜】
「第三十九回公判調書(供述)」⑰
証人=中 勲(五十七歳・埼玉県消防防災課長。事件当時、埼玉県警刑事部長)
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石田弁護人=「地域的にいうと主に重点地区といいますか、それはどういう付近に捜査員を聞込みにやらしたんでしょうか」
証人=「これは学校から被害者方に至る間は最も重点になったと思いますが」
石田弁護人=「地域的な字の表現なんかで、堀兼であるとか、加佐志であるとか、青柳であるとか入間川とか、いろいろな地域の表現が、地名がございますが、そういう風な地名で表現すると初期の基本捜査の段階ではどの地区に重点を置かれたんでしょうか」
証人=「別に重点はございません。全部、学校から善枝ちゃんの自宅までの沿道で、果たしてどこを通ったであろうという決定が非常に難しかったんですが、あそこを通る道路を一応堀兼から山本精機ですか、そこを通学路として使っておったんじゃなかろうかということで、これに一番重点を置いたわけです。それと加佐志ですか、上のほうを通る道がありますね、あれらも一応、あるいはそちらも通ったかもわからんということで、捜査の重点としては堀兼から真っ直ぐ行く道路に重点を置いたんです」
石田弁護人=「加佐志といいますと、川越高校入間川分校からは田中を通って加佐志に来るというのがコースになるんですね」
証人=「私はあの辺だいぶ通ったんですが、細かい地名はわかりません」
石田弁護人=「先程死体発見と同時に発見された、いくつかの物的証拠のことに触れられましたが、死体発見と同時に人の頭くらいの大きさの玉石も発見されておりますね」
証人=「何かそのようなことなんですね」
石田弁護人=「そういう報告を受けたことは」
証人=「私は現場を見たんですけれども、玉石を、最後までやっておらなかったので現場は見ておらないんです」
石田弁護人=「玉石について何か捜査主任というか、首脳部の間で意見が出たことはありませんか。初期の段階で」
証人=「記憶ございません」
石田弁護人=「それから基本捜査になるかどうかわかりませんが、ヘリコプターを使って捜査をなさいましたね」
証人=「はい」
石田弁護人=「これは何日間お使いになったんですか」
証人=「一日でございます」
石田弁護人=「具体的に日で特定すると何日でしょうか」
証人=「さあ、ちょっと日ははっきりしませんですが」
石田弁護人=「ヘリコプターで捜査というのは埼玉県警では初めて使ったように報道されておりますが、間違いありませんか」
証人=「私の記憶では初めてだと思います」
石田弁護人=「そのヘリコプターを使われた目的はどういう目的だったんですか」
証人=「ご承知のように森林地帯でして、あの辺の状況が部分々々しかよく分からないんで、いっぺん一つ上から見て写真撮影をして現場の状況を検討したらどうかという助言がありまして、関東管区から斡旋を受けましてヘリコプターを使うということになったんです」
石田弁護人=「要するに地理的状況を」
証人=「把握したい、これが第一の目的なんです」
石田弁護人=「第二の目的は」
証人=「それらによりまして、通学路の見当とか、いろいろな問題があるわけなんですが」
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○思いの外、石田弁護人は証人に対し、佐野屋での犯人取逃しについて深くは追求していない。この証人に対しては、その統括としての立場からもたらされた判断や行動といった事柄に尋問の焦点が合わされているようである。とは言えこの狭山事件で、避けては通れぬ多発した自殺者の、未だもって犯人ではとの疑惑が囁かれるその一人目については流石にやや深く触れてゆく。