アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 462

【公判調書1566丁〜】                                                                        

                           「狭山事件の特質」      

                                                                           中田直人                                                   

9.『五月二十三日早朝、被告人は自宅で逮捕された。逮捕状記載の被疑事実は交通事故のことで「事故を起こした相手方を二回殴った」という暴行と「友人の高橋良平の作業衣を車の中から盗んだ」という窃盗、それに本件「脅迫状を中田栄作方に差出し、現金二十万円を喝取しようとしたが果さなかった」という恐喝未遂の三件である。将田証言によると「二十数名について筆跡、血液型を入手しアリバイ等を調べた結果、被害者膣内に遺留された精液のB型と一致する血液型B型は被告人ひとりであり、脅迫状の筆跡と同一の筆跡を持つとされるのも被告人ひとりであり、アリバイが判明しなかったのも被告人ひとりであったからである」という。五十子米穀配給所の手拭いが被告人方にも配布されていたこと、また、被告人がかつて勤めていた東鳩東京製菓株式会社では月島食品のタオルを送られており、被告人にも入手の可能性のあったことは当時の捜査で判明していたことではあるが、これらの事情も手伝っていたのであろうと思われる。記録上、五月十三日付大野稔の任意提出書、五月十三日付古舘の領置調書、五月十三日付斉藤貞功の警察官調書、五月十三日付大野稔の警察官調書等が存在しているが、これらは被告人がのちに自白したオートバイの横領に関するものであって、五月二十三日逮捕の理由とはされていない。しかし石田方を中心とする捜査が始まった五月八日頃から、かなり早い段階で被告人に対する余罪摘発を含めて捜査がなされていたことは明らかである。直接本件に関係して記録上窺えるものは、東鳩田無工場長・佐藤裕一が被告人の早退届を任意提出した五月十八日付書類が最も早く、同じ日、佐藤裕一はタオルに関しても警察官調書を作成されているようである。しかしその早退届は数字、自己の氏名を含めて十数字前後の記載しか無いものであり、だからこそ五月二十一日、改めて借用書二枚、通勤証明書四枚、早退届六枚の提出を求めているし、五月二十一日には今泉巡査らによって被告人に上申書を提出させているのである。

ところで、本件について被告人の容疑を根拠付ける資料が逮捕当時あったのであろうか。原審関根政一、吉田一雄証言では「筆跡鑑定を始めたのは五月二十二日である」と言い、将田証言は「逮捕状請求は五月二十二日であった」と言い、逮捕までわずか一日しかないのであるし、また血液型については被告人から逮捕後五月二十三日狭山署でピースの吸殻を差し出させたものが初めての鑑定資料である。被告人のアリバイについて、どの程度の捜査がなされたかの資料はこの法廷には皆無である。確かに将田証言のように、他の友人などからかなりの聞込みがなされていたのであろうが、本人、家族に対する取調べは五月二十一日付上申書が初めてであり、また被告人に不利な聞込みであれば、何らかの形で現在までに供述調書等が法廷に提出されてよいと思われるのにそれらは全くない。しかも八月二十九日付・松田勝の「血液型の鑑定結果について」という書面によれば、石川二男は「A型」であると記載されているのに、石田二男本人の証言によれば「B型」である、という。このことは、B型であったのは被告人ひとりであるという将田証言そのものに疑いを抱かせる所以である。また東島証言のように、六月四日逮捕された東島自身、その当時は「五月一日のアリバイがはっきりせず、警察で責められ苦労した」というのである。したがって、全ての捜査結果が、ただ被告人のみを指し示していたという将田証言は誤りである。本件について被告人に対する具体的容疑は殆ど全くなかったと言ってよい』

(続く)

*この狭山事件においては、被告人にとって有利、又は不利を問わず、警察による聞込みでの証言や目撃証言がほぼ無いと今日気付く。特に、被告人に不利な聞込み証言がないということはどういうことか。これは警察にとっても不利ではなかろうか。

死体を後ろ手に縛っていた手拭い。

目隠しに使用されたタオル。(写真は“無実の獄25年・狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部編・解放出版社”より引用)