アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 358

【公判調書1320丁〜(7/21)】供述調書  石川一雄

右の者に対する恐喝未遂被疑事件につき、昭和三十八年六月二日狭山警察署において、本職は、あらかじめ被疑者に対し自己の意志に反して供述する必要がない旨を告げて取調べたところ、任意次のとおり供述した。

(一)私は前回お調べの際、本年五月一日は朝午前七時十分頃家を歩きで出て、現在私が着ているカーキ色のジャンバー、ジーパン、ゴムの長靴で入間川駅へ行って電車に乗ったのは、大体午前七時三十分頃でした。この事で未だ調書に書いて貰わなかったのは、私がその朝入間川の駅前に行った時、踏切り方から入間川の市内に向かって、知合の狭山市堀兼の人で西武鉄道関係の運送会社へ勤めている高橋良平(二十二才位)が茶ぽいジャンバーを着て単車に乗って来るのを見ましたが、その時私は今度警察で調べられた上下ツナギの作業衣を盗んだまま返してないので駅前の桐の木の影に隠れてしまい、挨拶は致しませんし先方も私には気付かなかったと思います。その後の事は前回話した通りです。私はパチンコは好きな方で所沢の東莫と言うパチンコ屋へは毎月四、五回行っております。五月中、東莫に行ったのは一日と中旬頃一回だけと覚えております。パチンコで儲かった時は煙草で持ってくる事もあるし現金にする事もあります。五月一日は二十二番の機械で二百円の元手で大体三百拾個になった時、その玉を玉売場へ持って行ってガムに取り替えて現金にしたのです。その時ガムと引き替えに現金四百円を受け取った対手(注:1)は年齢三十才過ぎ位の女の人で日本人でした。玉を二百五十個出すとガムを四ッ入りを五ヶをよこし、それを景品買に出すと現金四百円をくれるのです。従って私は五月一日は一日中入間川の市内には居なかったのです。

(二)次に私は前の取調べの時、兄六造さんの足袋を五月六日から二十二日頃まで近所の石川国治さんの家の鳶仕事に頼まれて行った際、時たま借りて履いていたが、兄さんの足袋は九文七分で、親指が痛くて指を丸めて履いたがそれでも親指は痛かったのです。私が六造兄さんの足袋を履いたのは五月七、八日頃、国治さんの処から家へ帰って自分の家のコンクリ打ちをした時と五月十六日建前の日です。

(三)私が五月一日、二日、三日頃寝ていた部屋についてお尋ねですから申上げます。私は四月二十五日頃から、五月二十三日警察へ連れて来られるまで、お勝手寄りの四畳半に何時も寝ておりました。その部屋は弟、清が寝ますし時隅(注:2)母ちゃんも寝ます。私は何時も夜は玄関から入りますが、六造兄さんはお勝手から入る事があります。

(四)私の家には犬二匹居て夜他所の人が来ると吠えます。只今、私が寝ている部屋や犬小屋の状況を書きましたから提出します。

此の時本職被疑者提出の略図一枚を本調書の末尾に添付した。

(五)私の持っている衣類についてお尋ねですが私は競輪やパチンコに行くのに良い物はいりませんから、今着ているヂャンパー・一枚、今着ているヂーパン・一本、白Yシャツ・四枚、クリーム色純毛長ズボン・一本、鼠色純毛長ズボン・一本、下着類シャツ類・十枚、レインコート白色・一枚等であります。

(六)次に、私が石田豚屋に働いていたのは昨年の秋頃から本年二月二十八日までで、その後正式に行った事は有りませんが石田さんの処をやめて親に怒られるので家にも帰れず昼間河原や山に行って遊び、夜こっそり豚屋の番小屋へ来て弟義男に話して三晩ばかり泊めて貰いました。その頃はやめて間もない頃でしたから石田豚屋の犬は全然吠えませんでした。石田さんのところは犬好きで、現在新築した家の方に、七、八匹戸門・・・(注:3)の家の東側にも一匹番犬が居ります。戸門の家の東側の豚小屋に居る犬は、夜等戸門さんの家の人でも吠えますし、他所の人が豚小屋へ行けば大変な吠え方をします。しかし私が石田さんの家にいる時、人に食いついた事は有りません。

(七)次に、五月一日殺された堀兼の中田○○(被害者名)さんや、そのお父さんを知っているかとのお尋ねですが、私は近所に半年近く住んでおりましたが○○(被害者名)さんと言う娘もお父さんも、一回も会った事は有りませんから知りません。事件があってからテレビで見て始めて知った様な次第です。私が石田豚屋に居た頃の正月十五日、石田一義さんから空気銃を借りて猟に出て、その近所を廻りましたから中田さんの家丈は知っております。又昨年の十一月一回前の松本織物工場の若衆と一緒に火の番で堀兼部落を二回ほど廻りましたからあの辺は良く知っております。

(八)私は今まで話して有りませんが、無免許でどんな自動車でも運転出来ますが、今まで運転手になる試験には一回も行っておりません。それと言うのは文字が書けないからです。私が車の運転を覚えたのは昭和三十六年秋頃から三十七年の六月頃迄豊岡町の土木水道工事をしている西川組に働いていた時です。西川組をやめてからしばらく経て堀兼の石田豚屋へ行ってからも一義さんや義男さんが留守の時、私が運転をしておりました。

(九)私は幾度聞かれても中田さんの家へ脅し手紙等書いた覚えも無いし、それを持って行った事も有りません。石川一雄

右のとおり録取して読み聞かせたところ誤りのないことを申立て署名指印した。於狭山警察署助勤  刑事部捜査第一課  司法警察員 警部  清水利一

(注:1)対手=たいしゅ。相手、相方。

(注:2)時隅・・・意味不明な上、検索出来ず。

(注:3)調書の印字が不鮮明である。“男”あるいは“勇”という文字の可能性あり。