アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 365

【公判調書1336丁〜(16/21)】

供述調書(甲)石川一雄

右の者に対する強盗強姦殺人死体遺棄被疑事件につき、昭和三十八年六月十八日川越警察署分室において、本職は、あらかじめ被疑者に対し自己の意思に反して供述をする必要がない旨告げて取り調べたところ、任意次のとおり供述した。

(一)私は、去年の十月一日から今年の二月二十八日まで堀兼の石田豚屋に勤めました。その時の友達は、義ちゃん、東島、荻野清、小野という二十一か二の男、高橋良平、戸門勇等がいてよく夜遊びに出ましたが、この友達とは豊岡の方へ遊びに行きました。入間川には、四丁目で生まれて、小学校五年を終わり学校の友達もいるので二十人くらい居りその他入間川ジャイアンツという野球チームに入っていたので、その方の友達が三十人くらいいます。私より友達としては年上の人が多くいます。私が石田豚屋にいた頃の友達とは今でもつきあっています。

(二)私は石田豚屋にいた時は今、石田かずすさん(一義のことをそう呼んでいました)が住んでいるそばの豚の番小舎に住んでいて、義さんと東島が一緒に泊まっていました。東島は早く辞めてしまったので二ヶ月か三ヶ月くらいしか一緒ではありません。その頃の豚小舍は戸門の家の東側にありました。私達が寝ていた側に放し飼いの豚が四百くらいいました。戸門の東側の豚小舎から○○(被害者名)さん殺された頃スコップが盗まれたということは私も知っています。あそこには私がいた頃は豚が百五十頭くらいいました。その豚小舎のところには何時もスコップが二挺くらい置いてありました。このスコップは私がいた頃は家の中のドラム缶の中に置いたり家の中へ立てかけて置いたりしたこともあり、川のへりの道端にもドラム缶があってそこへ置いたこともありました。夜置きっ放しにしたことありました。豚小舎の入口には黒い犬が何時も繋がれていました。あの犬はよく吠える犬でした。この犬はよく喰うので「ガズ」とか「バカ」と呼んでいました。私は犬が好きで自分の家にも飼ってありますが、この「ガズ」も私にはよく懐いでいました。ですから今でも私が入っていったとしても夜でも平気で入れます。

(三)私は十七の時、保谷の駅前にあったプレス工場に一ヶ月くらい勤めたことがありましたが、その時私は右の人差し指の先の方をプレスで落としてしまい、今でもこの爪は四分の一くらい元の方が残っているだけです。その時の治療代は保険でやって貰ったので家の者にはあまり迷惑をかけませんでした。その頃の私の家では畑を三段くらい。やっていました。その内の一段は狭山精密の焼場の側に一反位、入曽へ行く通りの日野電気の側に一反位、それから入間川の飛行場の棚の側に一反位ありました。私はその頃時々畑へも行ったこともありました。

(四)私は御調べの事件は、私と入間川の男と堀兼の者と三人でやったのですが、その相手の名前は言えません。それを言えばその人達が捕まるからです。このことは弁護士さんにも話してあります。詳しいことは裁判所で話します。

(五)○○(被害者名)さんの家へ届けた手紙のことは裁判所で話します。

(六)私は小学校四年か五年頃に学校のブランコから落ちて左足を折ったので、今でもよく曲がりませんが歩く時ビッコを引くよう(・・・ここで落丁している)

(添付されたメモ)

*本文とは関係無いが、なんとか今年の猛暑を乗り切り、待望の秋を迎えられそうだ。秋虫が鳴く中、秋刀魚や秋鮭を焼き、大根おろしと共に一杯、である。秋の大切さをしみじみ感じる。