アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 363

【公判調書1332丁〜(12・13・14のいずれか/21)】調書の落丁という問題が、いよいよ事を複雑にしてくれる。今回引用する供述調書は全二十一通の内、十二通目、十三通目、十四通目のどれかである。落丁ゆえ引用は供述の途中から始まる。 

〜したのは三月五日、六日の二晩だったと思います。私が高橋良平のダンプに泊まった頃は、昼間高橋良平の近所に住む友達の北間おさむ三十五才くらいの処に遊びに行き、私が石田の処に働いている頃持っていた着替えや作業衣等を妹から貰った白い袋の中に入れて持っていたのを預け、北間おさむさんや奥さん、おばさん達に、石田を辞めて仕事がなくて困った話しをしたら、北間さんは俺の処で植木屋の仕事をして見ないかと言われましたが、植木屋の仕事は毛虫が嫌のため断ってしまいました。それで三月七日には元石田養豚場に働いていた頃の友達である狭山市柏原の東島明さんの家へ遊びに行き書間は東島と二人で入間川で遊んで夜は東島の家へ七日、八日と泊まり込んだのです。九日の晩は東島と東島の友達である、びしこの男二十四才くらいの処へ行き、その晩東島と二人でその近くの百姓屋から鶏二羽を盗んで来て三人で食べてそこへ泊まりました。

(五)それで三月十日の朝、東島と二人で入間川駅からタクシーで堀兼の北間おさむの家へ、何か仕事でも有るかと思って行ったのです。私達が行くと丁度北間さんが居て、そこへ三十七、八才くらいで元北間さんの処の物置に住んでいた植木職をしている人が来て、私達二人に対し、お前等二人共遊んでいては仕方ないから俺が北田(ここで突如、北間から北田に変わる!筆者注)さんに判らぬよう百姓屋へ世話してやろう、お前等良かったら今日午後三時頃まで北田さんに遊んでいろ、俺が仕事を早く終して帰って来てお前等を先方へ連れて行ってやる、と言うので私も東島もその心算になりその日は北田さんの処で夕方までその人を待っていたら、午後七時頃になって帰って来てお前達これから先方の百姓屋へ連れて行ってやると言うので私と東島はその人に従って歩きで所沢市の北の方の地名の知らない大きな百姓屋へ連れて行かれたのです。先方へ着いたのは大体午後八時過ぎでした。先方へ着いたら年令三十五、六のおばさんと二十二才くらいの娘が一人居て主人は居ませんでした。その家へ行く途中、世話人は私達に、先方に着いたら豊岡の百姓屋に二人共三年以上奉公して百姓の仕事はなんでも出来る、豊岡の百姓屋は止めさせて来たんだと俺が言うから調子を合わせろと言われておりました。それでおかみさんは私達にお茶を入れてくれ餅の焼いたのを出してくれて色々話しを始めその間東島や世話人は餅を食べましたが私は一切れも食べませんでした。その中におばさんは始め私達に、皆さんは豊岡の何処に奉公して居ましたか等と聞くので私も東島も面食らって仕舞い黙って居ると世話人が豊岡の何処々々だといい加減な話しをして調子を合わせてくれたのです。その時色々世間話等世話人として居りましたが、切れ間にそこの家のおばさんは私達に私方でも奉行人を使うのには皆さんの住所と名前くらい知っておきたい言いましたから、世話人が自分で持っていた帳面を出しその帳面の一枚を切り取って私に出して書いてくれとと言うので、私が先に世話人が持っていた鉛筆を借りてその人の手渡した帳面の破ったものに、狭山市入間川2906石川一夫、と書きそれから東島がやはり住居と名前を書いたと思います。その書いた紙切れは世話人がおばさんに渡したと思います。その時私が使った鉛筆は世話人に聞いて見れば判ります。なお、その家で色々話しをしている時、娘が座敷で、私達が豊岡の百姓屋に三年も居たという話しをしたら、娘さんは、私は豊岡も入間川も良く知っているという話しをしたので、私も東島もこれは嘘がばれてしまうと思い、嫌になってしまいました。その様な話しで私と東島の二人は明日からお世話にて働くという事になり、その頃雪が降っていたので世話人かその家から自動車屋へ電話をかけタクシーを呼んでくれ私と東島の二人に乗れと言って乗り、始め世話人の人の家で世話人と別れ、その際明日は天気になったら二人共行ってくれよと念を押されたので私も東島も必ず行きますと返事をしたのです。それから私と東島はその車で東島の家まで行き、その晩は東島の・・・・・・。

・・・ここで再び落丁している。興味を持って文章を読む過程において、この落丁という事象にぶち当たった場合、精神衛生上、非常にストレスを感じる。落丁した紙には何が書かれていたのか、そもそも何故落丁したのか、何か、特定の主張を発する団体による工作なのか。いずれにせよ落丁問題は別個に追及せねばならず、これは最終的には狭山事件弁護団に問い合わせる事になりそうである。小心者の老生は今その段取りを考えつつあり、まずは弁護団による現地調査等に参加し、その過程で、老生の狭山事件及び再審請求に対する並々ならぬ情熱をアピール、頃合いを見て公判調書の落丁問題を指摘し、欠落している部分を復元させるのである。