アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 357

引用中の、供述調書の順序と、供述調書目録の順序が違っていた。目録が誤りであろう。公判調書上は⑥⑦⑧の順であるが目録では⑦⑥⑧となっている。⑥⑦⑧で話を進めよう。頭が割れそうである。しかもこの後、まさかの落丁という問題にぶつかるのであるが・・・。

【公判調書1319丁〜(6/21)】

供述調書    石川一雄

右の者は、昭和三十八年六月一日狭山警察署において、本職に対し、任意次のとおり供述した。

(一)私は只今申上げた石川本人であります。

(二)狭山市堀兼の石田豚屋に勤めている時、同僚の東島明と石田義男の二人が、狭山市入間小学校校庭で狭山市北入曽の関口とかいう十七〜十八才くらいの男に怪我をさせたり、後で判ったのですがその暴行の際、時計(腕時計)を東島が取った様な事件がありましたので申上げます。

(三)昨年の十一月末頃の事ではないかと思います。東島が所沢市内で靴を買ったのが足に合わないと言う事で取り替えに行くから所沢に行かないかと言われ、夕食を終わり西武線入曽駅から電車に乗り靴屋に行き、遊ばず又電車で午後九時頃入曽駅に着いたのでありますが、所沢駅で電車を待っている時、ホームの所で関口とかいう北入曽の男が、俺は町の愚連隊を知っている、とか若い女の子三人に話しているのを東島と私が聞いておりまして、この野朗はトッポイ奴だと思っておりましたが東島の方が頭に来たと見えて、入曽駅に下車すると東島はその男を連れて「学校へ来い」と言いながら自転車をころがして関口が一緒に行くのを、声の聞こえるくらい離れて先に歩いて行きました。小学校の校庭の南側隅の大きな立木が三、四本くらいある付近まで行くと東島は関口に対して両手で殴り始めたようでしたが、その時石田義男が自動車を運転して近くの道を通るのを車の音で判ったので、私は車の後を追って行き駅前で義男と会ったので、私は「東島が学校の庭で喧嘩をしている」と言うと、義男は自動車から下車してサンダルを履いた姿で「どれどれ」と言いながら私と二人で急いで小学校まで引返して行きますと、関口は相当殴られたと見えて校庭に頭を下に立っており、それでも盛んに東島は殴ったり蹴ったりしておりました。義男もその場所に行くと同時に両手を使って殴っておりましたので、俺はあまり可哀想であったので仲裁に入りました。関口は東島と義男に殴られたり蹴飛ばされたりして鼻血を出したようで相当痛めつけられました。東島は白色セーター様の物を着ておりました。私は黒色のジャンバー姿でありました。殴ったり蹴ったりした時間は二〜三十分くらいで、その間被害者と殴った二人が話しをしていたこともあります。喧嘩が終わり私と東島は義男と別れ駅からタクシーで帰ろうとしましたが、午後十時を過ぎてしまったらしく駐車していないので二人で歩って堀兼の石田さん家へ帰りました。義男の方は別に友達がいたので別れたのです。

右のとおり録取して読み聞かせた処誤りのない旨を申立て署名指印した。

狭山警察署 司法警察員 警部  諏訪部正司

*東島が関口に暴行を行った旧入間小学校は現在廃校になっており、校舎も取り壊され寂れた空き地となっている。唯一、その長い歴史を見つめてきたであろう大きな欅の木が一本、力強く存在感を放っている。