アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 355

【公判調書1312丁〜(4/21)】

供述調書(甲)石川一雄    右の者に対する恐喝被疑事件につき、昭和三十八年五月二十七日狭山警察署において、本職は、あらかじめ被疑者に対し自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げて取り調べたところ、任意次のとおり供述した。

(一)私は最初お調べの際、悪い事をして警察署で調べられたのは、

狭山市柏原の百姓屋で人が飼っていた鳩六羽を盗んで狭山警察の人に手を縛られて連れて来られた事。               ②次は、それから間もなく当時私が雇われていた狭山市入曽の農業、宮岡長蔵さん方の物置から小麦三俵を長蔵さんの家のリヤカーに乗せて盗み出し、入曽の茶畑に隠して置いて後で売ろうとしましたが、後で長さんに見つけられ長蔵さんから警察へ話され、狭山警察へ捕まってしまい勘弁してもらいました。

丈と申しましたが今月まで今一つ事件を話してないのがありますからお話し致します。それはやはり長蔵さんの家に住み込みで働いている頃の事です。私は物が欲しくなって知合の狭山市入曽の町田金ちゃん、所沢市の田代三郎さん、吉川さんと相談して、入間川の県立の高等学校へ泥棒に行き、私はホー歯(注:1)の下駄一足、町田金ちゃん、田代三郎さん、吉川かずおさん等は皆学校へ通っている生徒の靴一足づつ盗み、各自それを履いてるうちその事が警察に判り、その時も全部捕まってしまいました。今よく考えてみるとその時は私が十四才の事でしたから昭和二十九年から三十年頃の事でした。

私は此の前、調べの際、学校泥棒をした事を話せと申されましたが私は夜学の学校へ行った泥棒の事は夜学校の泥棒の事と言われなかったから話さなかったのです。

(二)私は昨日、東鳩その他勤め先や出入先では絶対書いた紙等一枚も無いと申しました。それもうそですから訂正して下さい。只今警察の方から、私が昭和三十三年から同三十六年まで勤めていた東鳩という製菓会社にいた頃の早退届を五枚見せて貰いましたがそれはいずれも私が会社で書いて提出したものです。私は会社へなど一枚もそんな物は書かないなどと偽りを言ったのは別に理由はありませんが有るものも無いと言う性分ですから言ったまでです。私の性分は有る事でもひと口無いと言えば何処迄も無いと言う性分です。従って私は白いものでも黒とひと口言えば絶対黒と言い通してしまいます。

(三)五月一日の晩、中田栄作さんの家へ脅かし手紙を持って行って翌晩さのやの前へ金二十万円届けろ、届ければ子供は無事帰すなどと書いた覚えは有りません。私は書かないものは何処まで行っても書かないと言う丈です。

(四)次に、五月六日から近所の水村国さんの処へ鳶仕事に行っていた頃の事で、多分六、七日頃の事です。自分の家だったか国さんの家だか忘れましたが父親富蔵から、あの事件( ○○さん〈被害者名〉殺しの事と思う)は一雄、お前がやったんだろう。お前がやったのだら俺ははづかしいから汽車の線路へ飛込んで死んでしまわなければならない、と申しますので私はその時親父に、そんな事俺は知らない。そのうち誰か捕まるだんべい、と言って親父を安心させました。

(五)次に、鳶職仕事をするには履物は何を履くかとのお尋ねですからお話し致します。私は昭和三十六年九月頃から昨年の夏頃まで豊岡町西川組の西川さんの処へ通勤で人夫として、近所の石田登利造さんの世話で働いた事があり、その時は常に鳶職の履く地下足袋を履いており、その足袋は何時も所沢市で五百円で買って来て履いておりました。その足袋は昨年十月頃から堀兼の石田豚屋へ住み込みで働くようになってからは履かず、石田さんの処へ置きっ放しにしてあると思います。その様な訳で私が自宅の兄六造と働くようになってからはその足袋が無く何時もゴム長靴を履いておりました。私の足は十文半、兄六造は九文七分位で、私が時偶兄ちゃんの足袋を履くと両方の親指が丸くなってとても痛くて長い時間は履いておれません。それで六造兄ちゃんが新しい足袋を買ってくれると言っておりましたが今迄買って貰いません。六造兄ちゃんは二、三足鳶職の足袋を持っております。私が元履いていた地下足袋の略図を書きましたから提出します。

*此の時本職供述人が自書作成した地下足袋の略図一枚を本調書の末尾に添付した。

此の辺で休んで又お話し致します。被疑者  石川一雄

右のとおり録取して読み聞かせたところ誤りのないことを申立て署名指印した。狭山警察署助勤 刑事部捜査第一課  司法警察員  清水利一

○文中(注:1)は原文通り引用した。ホー歯の下駄とは何だろうか。

しかしこの「ホー歯の下駄」や地下足袋の略図などはもはや問題ではない。今回も引用した、公判調書における石川被告人の、石川被告人目線による詳細な供述こそが重要な意味を持つ。